見出し画像

1/fゆらぎ

夕飯を終えて入浴を済ませ、あとは寝るだけの終わりかけの今日。

「それでは点火します」

「はーい。お願いします」

ベッド脇のランタンの側面に手の平を沿わせると、ほどなくしてガラスの中に小さな炎が灯る。微かにアロマの香りが漂い始めたのを確認して、そっと照明の光度を落とした。この炎が燃え続ける15分間の語らいが、忙しい日々を過ごすわたしたちの最近の日課だ。

「やっぱり、このアロマの匂いが一番好きかな」

「分かる。わたしも」

一時期、ノルウェーの国営放送で流される暖炉の焚き火の映像が、世界中で話題になったことがあった。その理由や効果を、各メディアがこぞって連日紹介していた日々は記憶に新しい。
焚き火の映像が人を癒やすわけ。それには、どうやら1/fゆらぎと言う現象が関係しているらしい。

「映像とかLEDライトとかも良いけどさ、やっぱり本物の炎を直に見るのとはどこか違うんだよね」

「うん、不思議とね。なんていうか、伝わる力の量とか質に差があるように感じる。うまく言えないけど」

1/fゆらぎとは、簡単に言えば規則性のない変化のことだ。さざ波やそよ風、木漏れ日、落ち葉を踏む音、木目、蛍の光、そして炎のゆらめき。それらすべてに1/fゆらぎは含まれている。「ゆらぎ」はこの世界のありとあらゆる場所に溢れていて、わたしたち自身も例外ではない。心臓の鼓動が、ヒトの持つ1/fゆらぎだ。つまるところ、生体リズムと共鳴する1/fゆらぎを含む音や光景を心地よく感じるのは、至極あたりまえのことであると言える。

「あ~。少し消えかけてきた」

「15分って案外あっという間だよね」

「ほんとほんと」

むしろわたしが1/fゆらぎに面白みを感じるのは、それが人生のようだと思うからだ。人生もまた規則と不規則の狭間にあり、一分後に吹く風の方角や次に立つ白波の形が予測できないように、人生に起こりうるすべてを把握して生きている人など存在しない。

(わたしたちのこの15分も、いつまで続いていくのだろうか)

「待ってよ。24時間は1440分でしょ。15を1440で割ると・・・約0.01。ということは、つまり15分間は、一日の総時間においてわずか1%ほどってことだよ。うわ、すごい少なくない?」

「んー、確かに。・・・まあ、でも、良いんだよ15分で。いつまででも続くなら、それはもう特別じゃないし。ていうかさ、明日は少し早く帰れそうだから、机とこれベランダに出してビール飲むのどう?」

あまりにあっけらかんとした表情でそんな風に潔く言うものだから、真剣な顔で空計算をしていたわたしは思わず声を出して笑ってしまった。

「いいね。大賛成」

もうすぐ、炎が消える。たったの15分だ。1日の中の1%。

それでも、こんな風に満たされた15分を幾度も繰り返して、その積み重ねの上でわたしは幸せで在り続けるのかもしれない。


最新のストーリーは、メルマガでお読みいただけます。
メルマガ登録はこちら

いいなと思ったら応援しよう!