鈴虫のリリリ

東京から新幹線で約二時間半の旅路。ビルで凸凹になった都会の地平線が山の緩やかな稜線へ、コンクリートジャングルに渦巻く熱風が土と緑の濃い匂いを含んだ乾いた風に変わる。見渡す限りに広がるのは、収穫時期を迎えて揺れる稲穂の黄金だ。その奥には、勿忘草色をした暮れかけの秋の空が果てしなく続く。
ここは、いわゆる典型的な田舎である。徒歩圏内にはコンビニもスーパーもなく、車なしでは生活が成り立たない。その代わりに清涼な風と水に静寂と、なにより美味しいごはんを享受できる、わたしの祖母の生まれ故郷。

「そういえば、お土産買って来たんだ」

夕食前、ふと思い出して部屋の隅に放り投げていたリュックを引き寄せると、サイドポケットから片手を突っ込む。豆大福と茶饅頭の入ったパックを取り出して差し出すと、祖母が嬉しそうに笑った。

「あらぁ、ありがとう。美味しそうだ。夕飯食べたらお茶を淹れるから、その時にね」

「うん。あ、で、こっちは親戚に配る用」

あれやこれやと次々に披露しながら、よくもこんなにたくさん背負って来られたものだと、我ながら感心してしまう。豆大福と茶饅頭のパックにどら焼きと最中の箱がそれぞれ三つずつ。それに衣服やパソコン、化粧道具に他にも細々とした物も詰め込んで来たから、相当の重量があったはずだ。

(これのおかげかな)

チャックをさっと閉めて、バックパックを壁際に置き直す。一見何の変哲もないが、実は背中の上と下の部分に取り付けられた可動式のパッドで、背負う角度を自分好みに調節することができるという優れものだ。体格に合わせて使い分けられるためなかなかに便利で、家族の兼用バッグとして重宝している。

「よし、じゃあ食べようか」

今夜も食卓を彩るのは、不思議なほど美味しい祖母の手料理の数々だ。揃いの茶碗にふっくら盛られたツヤツヤの白米は、この地域名産のひとめぼれ。中央の大皿、庭で採れた茄子とピーマンの肉味噌和えの横には、瑞々しいレタスとトマトのサラダ。枠を作るようにサラダボールの縁に沿って、スライスされたゆで卵が行儀よく並べられている。付け合わせの小鉢には、各々好きなだけ切り分けた自家製の胡瓜の漬物。また別の小皿に転がるシソの葉で真っ赤に色づいた梅干しは、隣の家のおばさんの渾身の一品らしい。お味噌汁を一掻きすると、濁った汁の合間に一口大に刻まれた葱と木綿豆腐、それからミョウガが見え隠れする。メニューもレシピも平凡で、別段目立った違いはないのだけれど、それでもなぜか田舎で食べるごはんは格別だ。

「それにしても、本当に静かだよね。真っ暗だし」

少しだけ開いた障子の隙間から見える庭を一瞥して、トマトをつまむ。

「なあんにもないから、ここには。日が暮れるとさらにねぇ」

祖母の言う通り、たしかにここらの辺り一帯には本当に何も無い。特に夜には、それが顕著だ。娯楽施設はおろか煌々とする街灯も、残業で深夜まで光るビルも、二十四時間営業のコンビニもなければ車のエンジン音や酔っぱらいの怒鳴り声もしない。人口の光と喧騒をどこかに置いてきた、どこまでも穏やかで優しい闇に包まれている。
退屈でつまらないだろう、と祖母が言う。けれど実際のところ、生まれてこのかたずっと都会で過ごしてきたわたしは、むしろその静けさをとても好ましく感じていた。思うに、持ちすぎて疲弊してしまうように、何も無いからこそ満たされることもあるのだ。

「ねえ、豆大福とお饅頭、どっちも食べたいから半分こしよう」

「はいはい。好きなだけたべなさいな」

また一つ、わたしと祖母だけの静かな夜が更けていく。澄んだ鈴虫の音がリリリと響いて、わずかな月の光の中に吸い込まれていった。


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