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祈る人、昇る灯

いつか見てみたい景色リストの筆頭に、タイのイーペン祭りがある。ロイクラトンの灯篭流しと同様に広く知られるその祭りは、一年に一度タイ全土で開催される収穫と豊穣を寿ぐ一大行事で、その日の最後にはコムローイと呼ばれる数千個の天燈が一斉に夜空に放たれる。初めてその写真を見た時には、こんなにも美しい光景がこの世に存在するのかと驚いたものだ。それ以来、いつかは参加したいと思い続けて今に至る。

(今年こそはと思ってたけど、やっぱ11月に休みなんて取れないよなぁ)

イーペン祭りが開催されるのは陰暦の12月、日本で採用されている陽暦でいえば毎年10月か11月くらいの時期と定められている。順繰りに回って来る夏休み休暇を取り終えて、年末に向かって業務が山積みになっていく頃だ。今年もまた見送りだなと諦めの境地に至る。立ち読みをしていたガイドブックを棚に戻して帰路についた。

               *

帰宅すると、熱烈なハグで出迎えられた。今日の彼女は、どうやらえらくご機嫌らしい。

(やばい。今日ってなにかの記念日だったっけか?)

ろくにただいまと言う間もなく、促されるまま目をつぶると、腕を引かれて短い廊下を進んでいく。どう考えてもこれはサプライズで、そして何も思い当たることのない俺は内心焦りが止まらない。そうこうしているうちに、かちりとリビングルームに続く扉が開かれる音がして、そっと彼女の気配が離れた。

「はい、どうぞ!目開けていいよ」

記憶を総ざらいしてみたけれど、やはり今日はいたって普通の日でしかない気がする。ええいどうにでもなれ、と腹をくくって瞼を持ち上げた。

「・・・!!・・・え、これって」

目に飛び込んできたのは、落とされた照明の代わりに部屋に灯された、天井中から吊り下がる筒状のランプのようなものだった。ちょうど、そう、イーペン祭りを想起させる薄闇の中に光るオレンジ色の淡い明かり。不規則な間隔で取り付けられたそれは天井からの距離もまちまちで、まるで空を昇っていこうとしているコムローイの群のように見えた。切り絵のように細かい装飾が刻まれた表面の隙間から四方八方に漏れ出た光が、壁やソファの白に黒い影で模様を描いている。

「ほら、ずっと行きたいって言ってたランタンのお祭りあったじゃん?」

「・・・ああ、言ったけど。すごいな、どうしたんだよこれ」

「最近頑張ってるし、ちょっとしたサプライズ。さすがにタイには行かせてあげられないから、雰囲気だけでも家でどうにか味わえないかなって。案外綺麗でしょ?」

ああ、と返しながら一番近くにあったランプに触れる。脳内に浮かんでくるのは、いくつもの断片的な祭りのシーンだ。異国の地。蒸し暑い夜。尋常じゃない数の人とその手に握られた天燈。場内アナウンスで、カウントダウンが始まる。「0」と共に離される手。そうして人々のさざめきの中、無数の光は互いに付かず離れず夜空を舞いあがっていく。

「一年の収穫に感謝して、天の仏陀に祈りを捧げる祭りなんだってね。わたしも調べてるうちに行ってみたくなっちゃった」

そう。イーペン祭りの夜にコムローイに託されるのは、願いや喜び、罪や後悔などの人々の祈りだ。祈りは原来、人の生命そのものであると言う人もいる。鳥が空を飛び、魚が水の中を泳ぐように、人もまた祈る、いわゆる自然本能というものらしい。ゆっくりとゆっくりと大気の川を揺蕩っていくあの灯火が、あんなに美しく心惹かれる光景になるのも、人の生命の一部が宿るからだと言われれば頷ける。

「いつか、行けるかなあ」

いよいよ本物のイーペン祭りを体験したくて堪らなくなってくる。それでもまだ弱腰な俺の呟きに、瞳をきらきらと輝かせた彼女がこちらを振り返って言った。

「もちろん。思い続けられることは何でも、実現できることだから。わたしという同志も増えたことだし、いつかと言わず、来年こそは!」


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