陳氏太極拳図説巻首の易学についての個人的解釈

陳鑫『陳氏太極拳図説』巻首で論じられている易学はとても難解であり、かつ武術との関連性がよく分からないため、『陳氏太極拳図説』を読解する上で最初の関門となっています。そのため、多くの読者がここで読むのをやめてしまうか、読み飛ばしてしまうと思います。実際、私も何度も読もうとしてはすぐに閉じてしまいました。

しかし、陳鑫の意図を類推するに、巻首の易学こそ陳鑫が読者に対して最も主張したい部分であると思われ、ここを避けてしまっては太極拳の本質に触れることができないのではないかと思います。

そこで、大変貧弱な理解ではありますが、私なりに頑張って読み取ったことを述べてみます。

中国では伝統的に重文軽武の風が強く、そのため武術の理論を論じた書物は旧中国においてごくわずかしかありませんでした。しかし、アヘン戦争以降、列強が中国侵略の意図をあらわにすると、中国人の間で救国のために武術を振興しようとする風潮が芽生えました。

こうした時代背景の下で書かれた陳鑫の『陳氏太極拳図説』も「上は国家のために賊寇を防ぎ、下は筋骨のために精神を強くする」ために家伝の秘術を世間に公開したのですが、武を軽んずる風潮は、知識人の間に広く浸透しており、伝統的な教育を受けた知識人の一人である陳鑫としては、それら知識人層に受け入れられるものにしたいという思いがあったのではないかと想像します。そしてそのために、正統思想とされた儒学の中でも易の論理により太極拳を理論化し、太極拳と儒学を接続し、太極拳を伝統的学問の範疇に取り込むことで太極拳の存在意義を確立しようとしたのではないかと思います。

さて、一口に易の論理といっても、古代から現代に至るまで易の解釈には様々な説が提唱されており、一様ではありません。そのため、『陳氏太極拳図説』巻首の易の論理を理解するには、それがどのような学説に基づいているかを把握する必要があります。

もっとも、易は私の専門ではないので、易の各学説の差異についてあまり詳しく紹介することはできませんが、『陳氏太極拳図説』内での引用のされ方からすると、

肯定的:邵雍、来知徳
否定的:朱熹

という陳鑫の思想的傾向が見られます。

易は宇宙生成のメカニズムを陰と陽の二気の働きで説明しようとするもので、

無極→太極→両儀→四象→八卦→六十四卦

という形に定式化されていますが、各段階における二気の働きについて諸説紛々としており、

  • 無極と太極は同じものか、異なるものか

  • 太極からどのようにして二気が生まれるのか

  • 先天八卦と後天八卦はどのような関係せいか

  • 各八卦の間にどのような関係があるか

などの点について論争が繰り広げられてきました。

朱熹は、邵雍の

太極1→両儀2→四象4→八卦8・・・

と各段階に数字を配当する「加一倍の法」に基づき、

「一が二に分かれ、二が四に分かれ、四が八に分かれ、八が十六に分かれ、十六が三十二に分かれ、三十二が六十四に分かれる」

すなわち2の累乗と理解したようで、それを図にしたのが『周易本義』「伏羲六十四卦次序図」になります。

この朱熹の説に対して陳鑫は、「易」という語の意味は「変化」であり、天地陰陽の変化の妙を表したものであるという立場から、朱熹の説では八卦の「変化」を説明できない、と批判しました。

八卦変六十四卦図
「古の聖人が天地陰陽の変化の妙をみるさまは、もとよりこのようである。そのためこれを「易(変わる)」と名付けたのである。もし宋儒の説に基づいて、一が二に分かれ、二が四に分かれ、四が八に分かれ、八が十六に分かれ、十六が三十二に分かれ、三十二が六十四に分かれるのでは、死数にほかならず、どうして「易」とすることができようか。かつ通じても卦をなさない。」

陳鑫はこの反朱熹の立場から陰陽変化のメカニズムを様々な観点から論じたのですが、陳鑫の易理論の中で特に太極拳を理解する上で重要なのではないかと思われるのが「錯綜」に関する議論です。

「錯綜」とは八卦・六十四卦の変化に関する理論です。

錯は「旁通」ともいい、陰●と陽◯の配列がコインの表裏のように互いに相反しているものをいいます。錯の代表的なものは乾と坤であり、すべての爻が陽◯◯◯◯◯◯である乾に対して、坤はすべての爻が陰●●●●●●になっています。

綜は陰●と陽◯の配列がコインを逆さまにしたように反対になっているものをいいます。例えば、

●◯●●●●

は比という卦ですが、左右を反転して

●●●●◯●

とすると、師という卦になります。

この錯と綜の理論に基づいて六十四卦を整理すると、

乾◯◯◯◯◯◯と坤●●●●●●
坎●◯●●◯●と離◯●◯◯●◯
頤◯●●●●◯と大過●◯◯◯◯●
中孚◯◯●●◯◯と小過●●◯◯●●

がそれぞれ錯の関係にあり、かつそれぞれの卦は綜してもそれ自身となるため、
(乾◯◯◯◯◯◯は綜しても乾であり、坤●●●●●●は綜しても坤である。他も同様)

陳鑫はこれらを八方位を示す八卦と定義しました。

そして、残りの五十六卦について綜の関係にあるものをまとめると二十八卦になり、先程の八卦と合わせて三十六卦になります。

・・・だからなんなんだ、

と思わなくもないのですが、陳鑫が繰り返し主張するのは、「易とは陰陽の変化である」という点であり、これを太極拳に当てはめて考えてみると次のようになるかと思います。

陳鑫によると太極拳の精髄は丹田から発せられる纏絲勁であり、そして纏絲勁は順纏と逆纏に分けられます。これを易に当てはめてみると、丹田が太極であり、順纏と逆纏は陰陽の二気になります。そして陰陽の二気たる順纏と逆纏の組み合わせにより生じる各動作が卦に相当します。

重要なことは、太極拳の各動作は固定されたものではなく、連綿と繋がっていくという点です。もし易が固定したもので変化しなければ、「変化するもの」である太極拳との間で矛盾が生じてしまいます。

そこで陳鑫は易の理論の方を改造し、太極拳と整合性の取れる新しい易理論を開発し、陰陽の二気が錯綜することで六十四卦になるように、順纏・逆纏が錯綜することで太極拳の数多くの技法が生まれる、ということなのかと今のところは理解しています。

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