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父が帰ってくる

84才の父が、いよいよ施設に入ることになった。

10年くらい前から、もの忘れがひどくなり、車で出かけても、帰り道がわからなくなったりした。
アルツハイマー型の認知症の前段階ということで、まずは総合病院の「物忘れ外来」にかかっていたけど、まあ自分のことは自分でできるし、身体的には頑丈な人なので、なんとか自宅で暮らしていた。

が、この「身体的には頑丈」っていうのが曲者で、足腰も丈夫で歩けるから、一日中、ふらふらと散歩に出かけては近所を歩いて帰ってくる。
こう書くとなんてことないんだけど、コロナであれこれと制約が増えた昨年あたりから、父が立ち寄る公共施設のスタッフから連絡が入ったり、近所の方が見てくれていて「お父さん、帰れないみたいだよ~」って知らせてくれたり、マスクをしていないと苦情が来たり。。。。つまり、父のやってることは同じだけど、世間はそれを許してくれなくなった。
さらに、ちょっと困った振る舞いに及ぶことも増えて、苦情を言われたりしていたらしい。
らしいっていうのは、父は母と離婚した後、再婚して別の人と暮らしている。再婚と言っても事実婚、内縁の関係だ。
その後添えさんが、言い聞かせても出歩く(徘徊というやつ)父を見守って、何も手に着かない状況が続いていたのに加え、あちこちからの苦情が増えるという、なかなかしんどい状況になっていたというわけ。
後添えさんももう80才。
しっかりした方だけど、さすがに体力的にもきつい。

私ら三姉妹は、どちらかというと、別れた母の方に近くて、父は、まあ、勝手にやれば~みたいなスタンスだった。
父母は、すんなり別れたわけじゃなく、母は別れることを納得していなかったから、私たちが父の方に顔出すのは嫌がったし。
母が亡くなってからは、そういう気の使い方はしなくてよくなったけど、でもすでに父は「あちらの家族」という感じで、後添えさんの子供たち、孫たちに囲まれて、なんだか幸せそうだった。

先にも書いた通り、しっかりした後添えさんも、精神的にも肉体的にも辛くなり、さらに経済的なこともあって、私に相談してきたのが夏ころ。
まずは、後添えさんを休ませてあげないと。。。と、父は精神科のある病院の認知症病棟に入院した。
で、この後どうするか、という相談になったんだけど、後添えさんは
「退院したら、家で看る」という。
いやいや、また同じことになるから、もう施設を考えた方がいいよ~と、誰もが言うんだけど、納得しないし、介護サービス開始の手続きも始めようとしない。
年代的に、介護サービスに抵抗があるというのもあるけど、私や妹が思うに、「ちゃんと、自分が看ないと~って意地になってるのかな」
手続き的には離婚は成立していたけど、母の心情は「不本意」、後添えさんは、母からみれば「父を奪った」相手。
なのに、ボケた父を「途中で放り出す」ことは、できないって考えるんだろうな。

父母がもめていた時、私は高校生、妹たちは中学生。思春期真っ只中。
でも、一緒に暮らすことが二人にとって幸せじゃないと思うから、私は、父母が別れることに反対はしなかった。
その後も、再婚の話にはちょっとびっくりしたけど、まあ、大人が決めたことだしな~と、もめごとは嫌いな私は、割と「オトナの対応」だったと思う。

そんな後添えさんの体に、癌ができていることが発覚。
さすがに、自分の体のことも考え、ようやく父の施設入所の決心をしてくれた。
そして、戸籍上は他人同士なものだから、今後の父の手続きなど一切を、私が引き継ぐこととなった。

父が、やっと私たちの元に帰ってくる。

そんな風に思う自分にびっくり。

大人の男女が、一緒に暮らしたり、別れたり。。。は、もちろん自由なことだけど、その二人の子供にとって、両親の離婚って、60才になっても、複雑でびみょーな思いが残るんだなって思う。

40年も別に暮らしていた父の日常を、私はほとんど知らない。
父も、できることなら、住み慣れた家に帰り、「母ちゃん(後添えさんのこと)」と暮らしたいんだろう。
でもなあ。
もう、「母ちゃん」は、父のことをお世話できなくなったってことを、どうしたら理解してもらえるのか。
いろいろ、悩ましいことが山積み。
でも、ほっとしている自分もいる。

ああ。

家族って、いいもんだけど、厄介でもあるな。


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