あきらめない
東京五輪が一週間後に開催される。
IOC会長さんに「観客を入れろ」と言われたらしいけど、さすがに、それはしないよね。
世界的な感染症のパンデミック、「緊急事態宣言」下での、平和の祭典~大規模なスポーツイベントの開催という異常事態。
誰もが「それどころじゃないだろ」と思っているだろうに、
「反対しても、どうせやるんでしょ」
という、あきらめムード。
これは、戦時下で、マスコミや政府の誤情報を見抜けず、まんまと煽りに乗って侵略戦争を美化し、勝てっこない戦争を止められなかった時の空気感に似ている。。。と、その当時を知っている人は言う。
私の父母は戦中生まれだったけど、敗戦時は小学生だったから、よく知らなかったらしいし、直接、父母に話を聴いた覚えもない。
次世代に伝える義務を果たしていなかったなあって思う。
どんな風に考えてたんだろうな、父ちゃんも母ちゃんも。
なんとなく、私の小さい頃は、日本人は「戦争の被害者」だっていうイメージを持っていた。
敗戦をものともせず、復興するんだ、という時代だったし。
大きくなって、日本という国の軍人や政府や国民が、他の国の人たちにどんなことをしてきたのか、ようやく知った。
政府や軍の内部にも、事態がよくみえていて、どうすればいいのか、今なら「正論」と言えることを唱えた人もいたらしいけど、全体のムードには抗えず、大多数のお偉いさんが無謀な作戦を進めていき、自国民にも多くの犠牲が出た。
正論を唱えた人は、作戦から外されたり、閑職に追いやられたり。
じゃあ、その人のしたことは無駄だったのか。
私はそうは思わない。
後世の人が、振り返った時に
「ちゃんと事態が、世の中が、社会が見えていた人が、日本にはひとりもいなかった。誰もいを唱えなかった」
というのでは、なんて情けない民族なんだ、国なんだって思う。
だから、結果は出せなかったけど、おかしいと思う感覚、おかしいと声をあげること、大きな勢力が醸し出す「空気」を疑ってみること、安易に乗せられないこと
これらは、とても大切なんだ。
「どうして、あんな馬鹿なことをしちゃったの?止められなかったの?」
と、次世代の人たちに言われたくない。
これは、自分のポジションを守るため「一応やりました」というポーズとは違う。
あきらめちゃったら、何も変わらない。
ということを、この番組からのメッセージとして受け取りました。
何をいまさら。。。。という声もあるそうだけど、利権に群がる一部の権力者の思うままに、この国を牛耳られたくない。
そこで、唯々諾々と従うヤワな国民でありたくない。
そう、思います。
また明日。