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微食 一ヶ月

おはようございます。

4月29日から続けてきた「不食」「微食」ちょうど一ヶ月続けたので、ふりかえり、まとめてみます。

もともと、一日一食でしたし、断食一週間(前後に減食、復食をするちょっと本格的なもの)もやりました。食欲に振り回されるのが嫌だし、食べることにもさほど関心がありません。私は、食べる量は普通だし、たまに甘いものも口にしますが、間食はなるべく甘くないもの(おせんべい系)にしていました。ペットボトルの飲料も飲まないようにはしてたから、まあ断食はやりやすい方だったんじゃないかしら。

今回の不食のきっかけは、ささいなことでして、犬を飼う飼わないで夫とけんかをし、なんとか私の失意をわかってもらわなければ、とハンガーストライキをしようとしたことです(笑)ケンカなので、口もきかないから、夫は内心ハラハラしてたそうな(後日談)

断食した時は、とにかくフラフラして、じーっとしてることしかできませんでした。食べ物のことが頭からはなれない・・・なんてことはなかったけど。不食に関しては、実践している方々の本を熟読しました(実は、食べずにいられるのか心配だった)

なぜ、食べすにいられるのかは、まだ科学的・医学的に解明されていないみたいですが、実際にこうして食べずに生きている人がいるらしいので、自分でもできるかも。。。ハンスト始めて一週間で、もとの理由はどうでもよくなりました。あとは、好奇心のみ。

始めのうちは、水分~葛入り生姜湯を飲んでいました。ちょっとくらくらするけど寝込むほどではなく、一瞬お腹がすいた気になっても、時間がたてばなんでもなくなる。お腹がすくーといっても、お腹がぐうとなるんじゃない、最初の一週間はカラダが「お腹すいた」といってるわけではなかった。

「食べる」ことは習慣で、「食べないと動けない」「食べないと死ぬ」「食べなければならない」という思い込みがかなりある。そこは本を読んで、そんなことはないと「頭で理解」していたので、あとはカラダがこの事態に慣れるだけ、でした。

最初の一週間が過ぎた頃に、ようやくお腹がぐう~と鳴り、やっと胃腸がからっぽになってきた実感がしました。食べ過ぎていたんだなあーとカラダで納得。食べなくても、今までの分?のお通じはあり、「宿便」と呼ばれるデトックスもあるといいな、と期待(結局、なかった)

一日のうちに、くらくらしてちょっと横になる時間を数回入れる以外は、案外動けてて、仕事(デスクワーク)も普通にできました。さすがに倒れては回りが驚くだろうから、外仕事は控えてました。

実感としては、「体が軽い」今までいっぱい砂を詰めていた袋を、いったんカラにした感じ。2週間過ぎたあたりで、駅まで歩いてみたんだけど、食べていた頃よりも楽に歩けたのにびっくり。体が軽いと歩くのがラク。

食べると、消化にエネルギーを使うので(一説によると、フルマラソン並みのエネルギーが必要とか)眠くなるし、横になりたくなる。それがないので、集中力も持続する。けっこう仕事ははかどりました(動画編集に初挑戦して、毎日、撮影~編集をがんがんやってました。)

食べないから、食事の支度にも時間をとられない。一週間すぎたあたりから、果物と葉物野菜のスムージーを作り、飲むようにしましたが、時間も手間もそんなにかからず、胃腸の負担も軽いので、今後も続けます。

食べないとこんな風に「時間が余る」~不食の達人山田さんによると、人間、ヒマだとつい食べちゃうんだそうで、やることのない手持無沙汰でふらふらキッチンに近づき、冷蔵庫を開け、何かをつまむ。戸棚を開けてお菓子を食べる(買い置きはいかんよ)思えば、何かに熱中し、時間も忘れていると、食べることも忘れることあったぞ。そうか、忙しくすればいいのか。

忙しいーもストレスになる忙しさだと、人によっては「食べちゃう」忙しい人も「何か食べておかないとマズイ」と思っているので、時間と手間を惜しむあまり、ジャンクフードやインスタント食品で済ませる。これはカラダにいいわけないよね。

そもそも現代人は「食べすぎ」腹八分とは、よく言ったもので、何万年も「飢餓」に耐えてきた人類は、ここ数十年、初めて「飽食」を経験し、肥満になってダイエットに励み、病気になって薬漬けになる。その費用のために、やりたくない仕事をし、ストレスをため、食べて・・・の悪循環。

亡くなった私の母は、幼い頃貧しかった反動か、食べることに執念を燃やす人だった。私が不食やってるなんて知ったら、心配のあまり血圧をあげたに違いない。そんな母は糖尿病と腎臓病を患い、最後は人工透析をしていた。糖尿だから食事制限はあり、かなりつらい思いをしてて、端でそれを見ていて「食欲ってやっかいだな」と思っていた私。でも私だって、間食はしたいし、おいしいものは食べたいし、ついつい食べ過ぎちゃう、コンビニでスイーツに手が出る、ふつうの人間でした。いや、人間です。戻りつつあるからね。

今回の取り組みで、食べなくても案外平気なことがわかりました。カラダって主が「食べない」モードに入ったことを察知すると、ちゃんとそっちに対応するんです。だから、思ったより動けた。かえってエネルギッシュになる人もいるとか。

断食がつらいのは、「食べなくてはならないことを我慢する」から。心もつらいけど、カラダもつらい。不食は「食べても食べなくても、どっちでもいい」というフレキシブルな考え方ができるので、今回もあまり「食べない」ことに固執しませんでした。食べたくなれば食べればいい。実際、不食の実践者さんたちも、お付き合いやコミュニケーションのために、普通に食べることもあるそうです。

不食も、スムージーを食し、少しずついろんなものをちょっとずつ口にするようになると「食欲が蘇る」ことがわかりました。何も食べないと、ずーっと食べなくても平気なのに、ちょっとでも食べると「食べたくなる」仕事の合間にふらふらキッチンに足が向くようになる。やっぱり、食べる量は増えてきて、昨日はとうとう、不食に入る前の食事に戻りました。

食べないカラダに何か食べ物を入れると、量にかかわらず、けっこうなダメージを食らう感じで、横になりたくなる。それも、だんだん慣れてくるみたいで、今思い返すと「食べたら、エネルギーを使うから、だるくなる」も思い込みだったかも。今は、食べ過ぎないように量をコントロールすれば、食後のシェスタも不要、すぐ動けるようになりました。

不食微食実験でわかったこと。人は食べなくても大丈夫。食べないと心も体も軽くなる。カラダが敏感になったようで、腸に何かたまってる感触がわかるようになりました。これからは、カラダにきいて食べるようにしよう。

また明日。


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