言語化ってださい
「うーん、なんでですかね、わからないっす」
質問にこう返された時お前はどう感じる?
高校生活で頑張ったことは?というアンケートが高3の最後で行われた。そういえば俺は中高授業中に寝たことがない、これはどれだけすごいことか、全校にも数えるほどだろう。そこで俺は書いた
「授業中一度も寝ませんでした」
文字にした瞬間なんと陳腐な。寝なかったという希少性、異常性、誉、普通のことですけど?そういった感情が全て取り払われ、幼稚園児の感想のようになってしまった。
この違和感は強烈で今でもおぼえている。
言語化というのはこういうことだ。今ならわかる。言葉にすると流れ落ちる感情や感覚。大衆が理解できるよう削ぎ落としたものが言語化なのだと。
アオアシやブルーロック、ブルーピリオドはものすごく言葉で雄弁に語ってくれる。成長とは一体なんだ?なぜ今絶望してるのか?とてもわかりやすくちょうど良いタイミングで文字として目に飛び込んでくる。さらにマンガの絵としても感情をのせてくる。このレベルの言語化力は天才の領域。
ほとんどの凡人にとっては面白かったは面白かっただし、何かやりたいと思った時は何かやりたい、で十分なんだ。
ありがとうと言われるのが嬉しいからひとだすけをする。
本当に因果はその順番?人助け自体が感情を揺さぶった、その後でありがとうと言われた。じゃない?
話は変わるが、密教で悟りに至るための修行的なのをショートカットするのが宝具らしい。
たとえばマニ車を回すとお経を死ぬほど唱えたことになるのもそういった意味で宝具と言えるだろう。
自分にとって感情を揺さぶるもの、それは自分の無意識に直でアクセスできる宝具だと思ってる。
さっきの例では人助けがそいつにとっての宝具だ。
俺は昔欅坂46にクソハマってた。
MVやバラエティを見るたびに最高に最高な気持ちになった。理由などない、ただただ良かった。あの時俺にとっては欅坂が宝具だった。
嬉しいという感情に直にアクセスしてくる。何かをして嬉しい、何かというフィルターがなく直嬉しいという感情にアクセスしてくる。
この宝具について言語化を迫ることほど、またそれを言葉にしてわかった気になってるやつこそださいのではないか。
なんでこれがしたいの?なんでこれをやり続けられてるの?と聞かれたらこう答えよう
「うーん、なんでですかね、わからないっす笑」