発言には意味がある。
普段の日常生活において、ただ意味もなく話をしているという人はいるだろうか。
他愛もない会話をしてわいわいがやがやと話すことはあったとしても、真面目な話については何らかの意図があって行われている、ということを多くの人が理解できるはずだ。
これは前回、「地鳴りについて。」のノートで書いた「空気を読む」ということについても通じる部分がある。
詳しくは下記を参照にしてほしい。
意図がある。
前述の意図を読み取れないということは相手の言いたいことがわからない、
それはつまり、空気を読めないということである。
どれだけ年齢を重ねようとも意図を理解できない人というのはやはり一定数いるようだ。
私のクラスでは、二学期中間試験を終え、次の進研模試に向けてコース独自の企画の効果もあって、非常に士気が高まってきているものと認識している。
ある生徒は1学期と学習方法を変えてみたことで少しずつ効果を実感してみたり、またある生徒は今まで部活に割いていた時間を前述の企画により勉強に充てることで学習内容の理解が深まったり、というような様子だ。
学習委員を務めている私としてもこれは非常に良い雰囲気であり、ぜひ今後とも続いていくことを願っている。
でもやはり…
しかし、そんな空気感の中にもやはりいるのだ。
場の雰囲気を乱す者が。
私はこれまで様々な方法を用いて彼に警告してきた。
以前クラスLINEにこのような文章を送った。
長々しいので飛ばしていただいても構わない(後にざっくりとした内容は書く)。
うんざりするほど長い文章である。
今読み返しても全く目眩がしてきそうだ。
ざっくり内容を説明すると、空気を読め、という内容が例示と共に人間の心理を解くことで回りくどく書いてある。
流石に自分でもひどい文章だと思っており、案の定これの翌日、クラスの生徒から次のような助言をいただいた。
「あれでは周りくどすぎる」
「結局おまえは何が言いたいんだ」と。
そして次に送った文がこれだ(プライバシー保護の観点から一部抜粋となっている)。
これについては少し直接的すぎるかと一瞬躊躇ったが先のメッセージにて効果を確認できなかったため送信に踏み切った。
クラスの生徒からはこちらも案の定「直接的すぎる」「ただの暴論だ」との意見が相次いだが、これは私の最後の警告行動だ、と説明したことで了解を得ることができた。
私は意図を持っている。
ここまで書いてきたように、私は意図を持ってこういった文章を書く。
2つ目の文章については非常に直接的であったことから意図の対象に届いたようだった。
ただ、1つ目では届かなかったようだった。
これは私の文章を書く能力が至っておらず、自分の論をうまく載せられなかったというのも理由の1つだろう。
しかし、あれほど「空気を読む」という言葉を乱用と言ってもいいぐらい多様しているのだからそこに何か鍵があるものだと察することはできないだろうか。
少し話が変わるが、人々がさりげなく言っている言葉の中にも意図が組み込まれていることがある。
例えば授業で先生がやたら口にしていた部分がテストに出た、というような経験はないだろうか。
これには「テストに出すからよく聞けよ」というような意図が含まれているのだろう。
意図を読み取れない危険性。
こういった意図を読み取れるのと読み取れないのでは天と地ほどの差がある。
社会に出て、暗に意図が示されるということはあるだろう。
そんな時に、もし仮にあなたがそれを読み取ることができなかったとしたらどうなるだろうか。
ポジティブな意図があったとしたら別にそれは構わないだろう。
しかし、ネガティブな意図があった場合、それは自分の身を危険に晒すこととなる。
自分の身を危険に晒してもいいというならそれは個人の考えであるから完全に否定することはできない。
そのため私としては「本当にそれでいいのか?」と最後に問うているのだ。
この問いに対して、そのままYesと答えるも考えを改めNoと答えるのもありだ。
ここでじっくりと考え、「最後の質問」の意図を読み取れたのならそれはその人自身の成長だろう。
ここで人を変えるのは難しい、という話を入れたいところではあるのだが、少々長くなってしまうため、またの機会に取っておこうと思う。
結論
さて、今回の本題の結論に入ろう。
日常生活の多くの発言には意図がある。
そして、その中には警告など極めて大切なことが含まれていることがあり、人間関係を築いていく上でそれらを読み取ることはほぼ必須である。
これがすぐに完璧にできればそれはそれですばらしい。
ただこれはとても難しいことだ。
挑戦してもなかなかできないかもしれない。
でも諦めることなく、ぜひ果敢に挑戦してみてほしい。
そろそろ目が疲れてきてしんどい頃だ。
文の構成等まだまだなところが多いが、最後まで読んでいただいたことを感謝する。
また、例に出した文の中に適切でない表現が一部含まれていたことについては深く反省していることを明らかにしておく。
それではまた次回のnoteでお目にかかります。
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