「村田昭治のマーケティング・ハートー学ぶことのたのしさ」 (村田昭治さん著)を読んで②
この本を読む前に、マーケティングとは「売れ続ける仕組みを作る」ことだと学び、それはそれで、エキサイティングだな、と感じた。
この本は、もっともっと概念が広くて、売れ続けるための仕組みを作る際、
売れ続ける仕組みとは、お客様に支持され続ける事→会社側も無理なく社員が働き続けられる事が実現できる環境づくりが大切→、、、
お客様に支持され続けることはどんなこと→???
と、どんどん分解した結果、日々起こる行動や考え方が一個人としてどうあるべきか、と心の持ちようが書いてある。読後、私の心は非常にエキサイティングだった。こんな面白い仕事ができるなんてなんて幸せなんだ、と。
多くの経営者が必ず存在を意識するカーネギーの墓碑には、友人たち、先生、先輩、友人、後輩の126人の名前が刻まれており、私が仕事ができたのは、この墓碑に名前を刻ませていただいた恩人たちによるのだ、と彫ってあるそう。なんてすばらしい。
私も今、自分を作ってくださった恩人たちの顔を、この下りを読んだとき、思い浮かべた。
母は、いつも「人のお世話にならぬよう、人のお世話ができるよう」と母校の校歌を歌いながら、あなたもそうなりなさい、といつも言っていた。人や物に愛着のある愛情の深い人間になりなさい、と。
お掃除する人が楽になるように、片付ける人が楽になるように、最後立つ鳥跡を濁さず席を立ちなさい。ともよく言われた。
人生で初めての上司となった人からは、「後工程のことを考えて仕事をするんだ」と。仕組みでも、日ごろのチーム内の仕事でも、自分のやった仕事の後に仕事する人が、本当にそれで気持ちよく仕事ができる?といつも聞かれていた。
役所の時の上司には、制度を作ったり普及させたりするためには、みなのwantsを知る必要があるため、リアルで会って話してきて、と言われた。みなのヒアリングを沢山し本音を探ってきて、と。結果4か月に1回のペースで28の組織に足を運ぶこと2年。そこから開けた世界は言うまでもない。
ほら、少し思い出すだけでも、いい加減な仕事はできない。みんな本気で私を育ててくれて、その教えを基に生きていたら、いい加減な仕事はできない。
ここ最近「ナメないで!」と思う事が多々あった。これは、汚い言葉だけれど、「自分なんて・・・」と下を向いてばかりの日々から、「ナメないで!」と心の中で言えるようになったのは、個人事業主として勝負していく私にとっては大きな大きな前進だった。
その時、「ナメないで!」と言えた根拠は正に、過去に私を教育してくださった方々が、素晴らしい人達だったから。誇るべき方々だったから。
彼らに教えてもらった私は、対価に見合うだけの仕事をするのではなく、対価以上の仕事を気持ちよくできる人なんだ、とそんな気持ちで奮い立たせていた。決して自分が出来る!という「ナメないで!」ではなく、不誠実な仕事はしない、意図を汲み取った相手目線の仕事をする、という意味での「舐めないで!」だ。
この本に、「マーケティングというのは、売ることではない。人間の心音を聴くことが大切。それは親しくならなければ聴けないのです。」というくだりがある。
今の会社でマーケティングの立ち上げをするにあたって自分は本当に門外漢なのだろうか。この言葉を読んで、違う、と思った。
そうゆう次元ではなく、心のマーケティングを常にやれる人になりたい、と思った。お客様の心音を聴く、仕事を一緒にするメンバーの心音を聴く、家族の心音を聴く、友人の心音を聴く、毎日生活をさせてくださっている物流の人、スーパーの人の心音を聴く。
早く仕事がしたい!