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ご機嫌斜めな出来事にフル回転するわたしの危機管理思考

総合病院の待合室でのこと。

大音量で音楽が流れ始めたので何事かと思ったら、誰かのイヤホンから音漏れしているようだ。

音漏れというか、たぶんイヤホンがちゃんと刺さっていなくてスピーカーになっていると言った方が正しいだろうか。

わたしはもともと他人の発する音にわりと敏感なので、AirPodsを忘れて出かけた日にはついため息を連発してしまう。

だが、この大音量はわたしのように敏感な人間でなくても気になるはず、、、?

気になりすぎて犯人探しをしてしまった。

ヒップホップ系の英語の曲だったので若者を見渡したが誰もイヤホンをつけていない。

なんと70歳くらいのおじいさんだった。

我ながら偏見はよくないな、と思った。

こんなアゲアゲな曲聴いててイケてるなあと思いつつ、おじいさんにはイヤホンしてても音が小さく感じるのかなとか思ったり。
耳鼻科の待合室だから尚更納得。

ただ彼の四方はたくさん人が座っている。
遠くに座っているわたしにも割と大音量なのに、彼らは気にならないのだろうか?

話しかけようか、病院の方に伝えてもらおうかと考えながら状況をしばし静観していると、おじいさんの周りからだんだん人が減ってきた。

うるさいと思うなら言ってしまえばいいのに。

わたしもだけど。

インスタのリールか、YouTubeのショートで見たことがある、
「前の人の服に虫がついていたら」を思い出した。

🇯🇵心の声「ああ虫ついてるな、でも知らない人だし話しかけたら変かな。ああ、どうかわたしの方には飛んでこないで!」

🇺🇸気づいたらすぐに話しかける「虫ついてるよ!取ってあげるね!」

こんな感じの内容だったと思う。

今の状況もまさにこれ。

わたしがなぜおじいさんに話しかけないか。
「うるさいな、聞こえないんだよ」と怒られるのが怖い。
周りの視線が気になる。

一番安全な方法は病院の人から伝えてもらうこと。
でもそれも「おじいさんには聞こえにくいのかもしれないので我慢してください」と万が一言われたら?などと考える。

なのでとりあえず
心の中で「どうかこれ以上近い席には座らないで!」とか「誰かわたしのかわりに指摘して」とか思っている。

こういうさまざまなパターンを考える癖がある。
いいことが起きた時よりも、何か自分にとって悪いことが起きそうな時に一番働く思考でもある気がする。
危機管理能力の一つだろうか。

実は悪いことばかりでもないと思う。
あらゆる可能性を想定する訓練になる。

こういう些細なことで鍛えておいて、
地震や事故などなんらかの緊急時に役に立つかもしれない。

そう考えると、おじいさんの音漏れも、わたしの集中力を邪魔するだけではないように思えてきた。

でもやっぱり、考えて終わりなのは緊急時には役に立たない。
想像して実行してみるところまでやれて初めて訓練だ。

学校の避難訓練で、避難経路だけ地図で確認して終わりの学校はないだろう。
どの学校でも、時間を取って実際にうわばきのまま校庭に出るところまでやるのではないだろうか。

だからおじいさんの音漏れを話しかけて気づいてもらうところまでやってみよう。

そう思ったらちょうど、おじいさんは順番が来たのかどこかに行ってしまった。

そしてちょうどわたしの順番が来た。
じゃあ、いってきます👋

もっと電車乗って人間つれづれ書きます🚃