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いい休日

「なんか、いい休日だなぁ」
河川敷の階段で小雨に打たれながら、考えるより先に言葉が出た。


昨日は、インフルエンザのワクチンを打つため、1日休みを取った。本当は、終業時間より少し早く職場を出れば病院の終わり時間に滑り込める。だけど、1時間単位でしか休みが取れなくて、一度家に帰るにしても、カフェで時間を潰すにしても、中途半端になる。

それに、他にやることもあった。今月締め切りの取材記事が、取材すらできていない。1週間前、取材の候補先にメッセージを送ったが、返事がなくてそのままに。気づけば、月末になってしまった。切羽詰まっている。ひたすら、リストアップした候補先を訪問していくしかない。今月はあと3日。全部平日。日中は別の仕事をしている。平日の朝と夜しか動けないとなると、お店も混雑しているし、取材の許可も取りづらい。だから、まとまった休みを取って、心を落ち着けながらタスクを処理していくことにした。

とはいえ、メッセージが返ってこないお店を訪問するのは、億劫だ。嫌な顔されたら嫌だなぁと永遠に考えてしまって、体が動かない。諦めが悪くてしつこい私の性格。こういうときに存分に発揮されたらいいのに。


区役所からの依頼で、地域の魅力を伝える仕事をしている。取材先は自由。その代わり、すべて自分で企画し、アポ取りしなければならない。前から気になっているけど、なかなか行けていない場所を選ぶといい。他にも同じように考えている人がいるだろうから、と教えてもらった。

5月に開店してから、ずっと気になっていた個人書店がある。家から遠すぎないものの、通りすがれる場所ではなく、行こうと思わなければ行けない。個人書店は、当たり外れがある。自分に不向きだったとき、狭い空間で書店員との気まずい空気感を味わいたくない。帰りに寄ろうかと何度も思ったけれど、何かと理由をつけて行けずじまいだった。

取材という機会を利用すれば、行けるかも。今月こそ取材先にと毎月思いながら、今になってしまった。メッセージが返ってこなくて、取材するのをやめようかとも思ったけれど、やっぱり気になるお店なのは変わらない。いったん、お店の雰囲気を見て決めよう、とようやく重い腰を上げた。

もし取材がだめだったとき、周辺のお店を取材できるようにといくつかリストアップもしておく。これは長丁場になるかもな、と覚悟して家を出た。

結論、心配無用だった。

書店は、想像以上に素敵な空間。ブルックリンスタイルのカフェのような雰囲気で、今にもていねいに注がれたドリップコーヒーの香りが漂ってきそう。バスクチーズケーキも、よく似合う。いったん一般客を演じながら、そのまま一般客として溶け込んでしまった。本の数は多すぎない。けれど、どれも興味を惹かれるものばかり。気づけば、書店の隅から隅まで堪能していた。

うわぁ、これは絶対に取材したい。今月は、ここがいい。むしろここ以外は、嫌だ。

家で悶々としていた時間が嘘だったかのように、自然な流れで店員さんに声をかける。意外にもさらっと「もちろん、いいですよ」と返ってきて、拍子抜けした。どうやら、メッセージの送り先は別の人が運用していて、別拠点にいるらしい。それは確かに、返事しづらいよなぁ。

壁面に、自分が大切にしている言葉を自由に書いていいスペースがあった。店員さんも書いているのか聞いてみる。「僕のは、これです」と指し示された先には、知っている名前が。とある書店で見つけた、素敵な本を編集している人と同じ名前だった。

8月15日、終戦の日に今の日常を集めて日記集にした本『日常をうたう』を編集した方。素敵な企画だと思って、恐れながら私もまったく同じ企画をnoteでさせてもらっている。まさか、お会いできる日が来るなんて。気になりながらも買えていなかった別の本をレジへ持って行き、サインをいただいた。嬉しい。焼き芋みたいに、ほくほくする。「いつでも遊びに来てください」と見送ってもらった。明日も明後日も来ちゃおうかな、と思いながら店を後にする。シンプルでやわらかい『Saucy Dog』みたいな雰囲気の人だったな。

取材を断られたとき用に、飲食店を取材しようと思って虚無にしておいた胃袋。勢いづいた私は、リストアップした他のお店も取材することにした。

まずは、パンケーキのお店。パンケーキと言っても、一風変わっている。手で持って食べるタイプのパンケーキ。まる、さんかく、かたぱんの3つから選ぶ。お店からはエプロンをつけたおかあさんがお出迎え。3つとも味が違うよ、と教えてくれた。パンケーキを娘さんと思しき人が焼いてくれている間、ずっとお話してくれた。いや、焼き終えたものを手渡された後も、ずっとお話してくれて、ビニール袋から手に当たる大量の湯気の量が変化していくのがわかった。もしかして、ある程度冷めたほうがおいしいのか? その真偽は、再来して確かめようと思う。とりあえず、あつあつじゃなくても、おいしかった。おかあさんが話す。娘さんから突っ込みが入る。奥には、おとうさんが静かにしている。何だか、ご近所さんの食卓に遊びに来たみたいだ。アットホームでにぎやかな感じは『ヤバイTシャツ屋さん』を思い出す。

次にお肉屋さんで揚げ物を調達しに行く。「揚げたていかがですか?」と手書きされた看板。「いただきますっ!」と優等生のごとくはっきり心の中で返事する。本日のおすすめ、ミンチカツにした。5分ほど待ち「あついですよ」と手渡される。揚げたてとは聞いていたけど、ソースに漬け込まれているとは聞いていない。おいしそうすぎるんですが! かじると中から肉汁がじゅわっと溢れ出す。ソースを感じつつもサクッとした衣と調和して、もうたまらない。おかわりで牛串も買おうかなと何度も思った。私の胃袋にガツンと刺さりまくる感じはまるで『キュウソネコカミ』だ。

調達した本とパンケーキとメンチカツを鴨川沿いの公園へ持ち込む。実は、ここまでセットで取材できたら完璧だと思っていた。公園は、誰もいなくて貸し切り。小雨が降っていたからだろうか、それともいつもこんな感じなんだろうか。電車が橋を通り、金属を力強く震わせる音が心地よい。ゆっくり時間が過ぎていく。脳内で『Priscilla Ahn(プリシラアーン)』が流れる。


休みの日はつい、家で過ごすか、街へ繰り出すかになってしまう。だけど、1駅か2駅ほど足を延ばして、自分が住んでいる地区を散策するのも楽しい。

ちょっと歩いているだけでも、気になるお店がたくさんあった。ホルモン屋さんがキムチを売っていたり、胃袋をやさしく癒してくれそうな定食屋さんがあったり。

どのお店も温かく、私を受け容れてくれた。

この日めぐった場所は、どこも初めての場所。取材の仕事がなければ、踏み入れることはなかったかもしれない。家を出る前は、あれだけ億劫だったのに、自分の住む町に関わっていくのって、何て満たされるのだろう。

もっと自分の住む町を散歩して、いろんな人と、いろんなお店と出会ってみたい。毎日を今日みたいに過ごせたら幸せだな、と思った。


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吉野千明
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