祖父の葬式で感じた人類の精神文化
お久しぶりです。
明日も仕事ですが、またもつらつらと書き記してみます。
2020年3月27日、私は祖父を亡くしました。
享年82歳。
まあよく生きた方でしょう。
コロナが騒がれ出した頃、お見舞いや火葬に立ち会えたのは不幸中の幸いでした。
お通夜からお葬式、火葬から納骨まで、人が亡くなった後行われる出来事を生まれて初めて経験しました。
一連の作業を行なっていく中で、感じたことがあります。
人が亡くなると、基本は骨をお墓に埋葬します。
だからみんなお墓参りに行くのでしょうが、私の祖母は違いました。
骨壷を一階の和室、仏壇横に置いていました。
棺桶に入った祖父を見つめて、献花しながら涙を流していた祖母や親戚。
私は今までずっと、葬式やお墓は死んだ人のためのものかと思ってました。
でも違うんですよね。
残された人が亡くなった人に対して馳せる想いや愛の受け皿として、葬式という儀式があり、骨壷や仏壇、お墓があるんですよね。
お恥ずかしながらこの歳になってそのことに気づきました。
物質的対象や儀式的な機会がなければ、残された人はどこに、何に対してこの想いをぶつければいいんでしょうか。
まあ写真とか、お空に向かってとかあるんでしょうが、私の祖母は「おじいさんをそばに置いておきたい」と話していました。
5,60年も共に過ごした相手を亡くしたんです。
すぐに一人の生活に切り替え、なんて普通に考えて無理ですよね。
そんなやり場のない愛の矛先を振りかざす対象として、お墓や仏壇がある。
亡くなったことを受け入れて感謝を伝える、そのためにお葬式がある。
私は宗教的思想とかあんまり好きではなかったのですが、この経験を通じて、人間の人間に対する愛や想いが宗教として体系的に形成されていったんだなあと思うと少し感慨深さがありました。
入学式とか卒業式、入社式なんかも当人というより受け入れる学校や会社、送り出す親にとってかけがえのない瞬間になるんだろうなと思います。
これからそんな行事を迎える人は、その行事が行われてる最中にちょっと視点を変えて「お母さんとお父さんは今どんな気持ちなんだろうか」とか「おばあちゃんとおじいちゃんは今どんな気持ちなんだろうか」とか想像してみてください。