知識や教養を身につける意味

「若い頃は尖ってた」とか「歳をとって丸くなった」と、芸術家や音楽家、クリエイターの方々はよくおっしゃっているような気がします。

なんとなくその通りなんだろうなと思うんですが、それって、経過した時間や歳月が直接変化させてるわけではなくて、その時間や歳月の中で得られる経験から、当事者にとって新しい知見や知識、教養を得た結果、多角的な視野で物事を見れるようになったからその精神性が培われていると思うんです。

仮にそうだとすると、知識や教養を身につける理由は、極論平和実現の礎を築くためなのかなんて考えてしまいます。

もっと突っ込んだ話をすると、知識や教養、要するに自分を取り巻く環境や外在的な世界や人間を、自らの経験として(いわば主観的に体感することで)知ることは、他者への理解に繋がり、その理解は許容になり、同情や優しさになり、平和になるんじゃないのかなと思います。

何度か書いている「多様性の根本に必要なのは許しである」と言う持論に論理的整合性があったことを裏付けるような結論です。

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