きょうだいは、歪みの始まり。
私の仲良い友達はなぜか長子が多くて、私ほどこじれた人はそうそういないが、同じぐらい強烈な弟妹を持つ友達もいる。もちろん、きょうだい仲良しという友達もいるが、弟妹のために我慢させられた経験は、全員持ち合わせている。
今でこそ「二人目が生まれた時こそ上の子のケアを」みたいな考え方が浸透しているが、私達はまだ、当然のように「お兄(姉)ちゃんなんだから」と言われて育った世代だ。
学生時代からずっと付き合いが続いている友達も、妹の世話で母親は手一杯だったので、自分は一歳の時から一人でぬいぐるみを抱いて泣きながら寝ていたと話す。今となっては笑い話だとしても、それが笑い話になったのは幸運な綱渡りだったと思う。
そして、もちろん、下の子にも不満がないわけはないので、きょうだいとは、考えれば考えるほどハイリスクハイリターンな存在だ。普通にいけば単なる一番近い親戚、うまくいけば助け合えたり高め合えたりする存在。でも最悪の場合は、疎ましいのに完全に他人にはなれない、地獄の絆。
ニュースで見ても大方の人は他人事としか感じないのだろうけど、殺人の四割は親族だと言うぐらいなので、きょうだい間の事件は本当に多い。
世の中には嫌な奴もいて、完全に避けて通ることは不可能なのだと知るのは大切。苦手な先生や同級生なんかは、それにあたると思う。
けれど、究極的には縁を切れるその人らと違って、親きょうだいはどうやっても切れない。しかも、親は基本的に子供より早くこの世を去るし、何より、望んでこの世に送り出した張本人達で、子を養護する責任があるが、きょうだいは全く違う。親から勝手に、切っても切れない縁を押し付けられるわけである。
親亡き後に、きょうだいに金をせびる人間だって、腐るほどいる。最終的には拒めるにしても、拒む方の労力や精神的疲労、苦痛までは無くせない。
弟と特に問題なく付き合えていた頃は気にしていなかったが、向こうが親のスネをかじり出し、吸い尽くすようになってから、色々考えるようになった。うちの弟みたいな悪意はなくても、きょうだいがただ美形とか、単に出来が良かった場合も、他のきょうだいはつらいんだろうなとか。
先日、とあるアーティストの曲を聞いた。今めちゃくちゃ話題になっている方の曲もいいけど、その前の曲も本当に良い。そんな彼は、お兄さんが有名な俳優さんであることで、苦しんだ経験があるらしい。
そういえば某女優さんのお姉さんも、骨を削る大規模な整形手術をするにあたり、妹に対して複雑な思いを抱えていたと記事で読んだ。
いくら美形でも努力なしでは売れないけど、そもそものスタートが美形な時点で羨ましいのは間違いないし、赤の他人なら「いいなあ」で済むことも、自分と遺伝子の似通ったきょうだいが相手だったら、割り切れない思いもあるだろう。
誰も悪くないだけに、余計にきょうだいという存在の恐ろしさを感じる。
一方、仲の良い友人には一人っ子も多く、こちらは親との関係が良くなかったとしても、親が年老いていくにつれて、最終的には子が主導権を握るしかないという状況に傾きつつある。
…と、色々書き連ねたところで、私の親ときょうだいを、現実的に何か変えることはできない。できるのは、せめて、関わらないこと。なるべく考えずに暮らすこと。いつか泥水の中から手を伸ばしてきた時に、ちゃんと咄嗟に振り払えるようになっておくこと。
その際、なるべく泥ハネしないように、自分が少しでも傷付かないように。守るんだ。