しょーもない悩みから、何か大切なことを思い出せた、そんな話
私は、ノートを出した。そこに記したのは「最近、飲み会で、自分を出せないことについて」というお題を書いたのだ。
最初に書いた時、少し恥ずかしさも覚えた。最近、COTENラジオにハマり、歴史を勉強している。フランス革命、宗教改革、オスマン帝国などの歴史に登場する、カッコイイみなさんが、「人間とは」「社会とは」「生きるとは」を命懸けで考え、実行している。そんなアツいラジオを聴きながら
「最近、飲み会、自分だせてないんだよなぁ」と悩む27歳、私。
はずかしぃ。
しかしながら、誰にも見えないところで書くので、ちっぽけな自分を自覚しながら、筆を進めてみた。
大学時代は、飲み会を楽しめていた。小ボケを連発し、みんなで腹を抱えて笑った記憶もある。しかし、その後の3年くらいは、飲み会を純粋に楽しめていない自分がいる。
なぜか考えて気づいたことは、あの「小ボケモード」の自分が発動する条件は、よく笑ってくれる人が近くにいた時である。つまり、私は自分自身で小ボケていたわけではなく、その方が「小ボケモード」を引き出してくれていたのである。
そんなこんなで、楽しかった飲み会を思い出しながら、なぜ楽しかったのか、そして楽しさが自分にやってきやすい条件を考えてみた。
そして、何よりの発見なのだが、この「ある何気ないこと」を深掘りしていること時間が楽しい。
結果として、飲み会に行く条件を決めて、行く行かないを判断することにした。
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ここでの発見は、考えを巡らせる至福に気づいたことである。
しょーもない悩みから、何か大切なことを再発見できたような気がする。ありがとう「しょーもない悩み」。これから、考えを巡らせる才能を使って、未来を生き、「人生を大きく変えることに至る、悩み」と言われるよう、育てていきたいと思う。
おやすみ、「今は、しょーもない悩み」。
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