見出し画像

家は見えない鎖。一級建築士が持ち家派をやめたワケ

かりにも、わたしは一級建築士です。

注文住宅を提案しておりました。
そのため、日本の建築や生活様式には少しは精通しております。 
 
戦後の日本において、衣・食・住。 
そして白物家電たちがどれだけ人々の生活水準をあげ 
夢や希望を与えてきたかわかっています。 
 


でもね、逆に選択肢が増えた今、 
わたしたちは「もたない」という暮らしもできるのです。 
 


もたない暮らしを3年半続けているわたしは、 
間違いなく、自分に使う時間・心の余裕・選択肢が増えました。 
 
 
 
 
そもそもなぜわたしが、もたない暮らしを始めたのか? 
それは3年半前に遡ります。 
 


わたしは65m2、2SLD K

横浜にあるマンション(ローンで購入)で 
一人暮らしをしていました。 


『賃貸で暮らしていても家賃を捨てるだけだし、持ち家にしたら自由にインテリアをいじれるし楽しいじゃん!』

そう考えての購入でした。

しかしながら、実際問題、

忙しすぎで当初購入した家具から変更することはなかったし、インテリアをリフォームすることもありませんでした。


そうこうするうちに、仕事の都合で、

横浜のマンションを売却し、都内へ引っ越すことに。 
 


転居先は、17平米のワンルームマンション。 
(エレベーターなし) 


人生で一番狭い家です。 
 
想像できますか?? 


4分の1の広さです。 
 


となると、それまで自由気ままに暮らしていた生活が一変。 
 
 
どう考えても 
どう建築士の知識と経験をフル活用しても 
すこし手持ちのモノを捨てたぐらいじゃおさまりませんっ! 
 
 
「なんでそんな部屋にしたの?」 
 
 
そう思われるかもしれませんが、 
当時の私にはそこがベストだったのです! 
 
 
 
まず大量の本、 
食器類はすて 
洋服も100着以上すて、 
靴も厳選の5足ほどにしぼり 
アンティークのダイニングセット、 
ソファやベッド(セミダブル)の大物家具も捨てる事に。 
 
 
空前の断捨離ブームにのって 
捨てる事にあまり抵抗がなかったです。 
 
 
問題はここから、 
大型家電問題です。 
 
 
昭和の時代、 
三種の神器といわれ崇め奉られた 
テレビ、冷蔵庫、洗濯機の取り扱いに悩みました。 
 
狭い部屋では、 
確実に幅をきかせる存在たちなのです。 

なので、すべて捨てました。
 
 

 
 
そして、すべてを捨てて、まる3年半経過。 


その間、賃貸マンションの更新もしました。 
 
 
生活はどうかといわれると……。 
いたって、問題ありません。 
 
 

 

そしてわたしは一番大きなものを捨てて、 
さらに自由になっていたことに気づきました。 

それは「持ち家」です。 
 


家がここだから、通勤できるエリアはこの辺まで。 
家がここだから、参加するイベントは何時に終わるものだけ。 
 
家の位置を基準に全ての行動範囲を、無意識に決めてしまっていたのです。 
 
私には家があるからなんとかく安心だと思っていましたが、 
むしろ私には持ち家が「見えない鎖」だったのです。 
 
持ち家がなくなったことで、仕事も遊びに行く場所も、 
自分のやりたいかどうか、興味があるかどうかという基準で決められるようになったのです。 
 
最悪、収入に応じて転居もできるし。 
 

持っていた方が安心・便利・時短になるいいと思われているものが 
私の時間と自由を奪っていたのです。 

 
 
いつこの気持ちが変わるかわからないけど 、
今の私にはもたない暮らしが心地よい。 

ただし、こんなことを考えられるのは、実家があることと、独身ゆえである。

家族がいたら、みんなの安心できる場が欲しいと考えていたはずだから。


そして2021年現在。

わたしの自由への憧れに拍車がかかり、アドレスホッパーという選択肢をとることに。


2018年。家は不要だと感じたところから、なぜホテル暮らしへと考えが集約していったのか?

このあたりもまとめますね。


最後までご覧いただき、ありがとうございます!

いいなと思ったら応援しよう!

自撮りはマインドが100%|ホテル暮らし一級建築士 喜多島みなみ
アドレスホッパーのリアルをお届けします。みてくれた誰かの参考になるよう、生き方の選択肢の1つになるようお届けします。