できるところから残していく
子供たちが主役になった時に直面するであろう世界へ向けて
『スカスカの中身』
人類がここまで発達できたのは、数万年かけて地球が溜め込んだ、地下資源のおかげだ。
ところが、最初に掘り始めたころには採れていた量が、僕が生まれた頃には、同じだけ掘っても採れなくなり始めていた。
そのスピードは指数的に変化して、もう本当はとっくに、ハッキリと言わなければいけなくなっている。
「キミたちが大人になるころは、中身はスカスカだよ」
だけどその勇気がなくて、さもこの経済はずっと続いてゆくよ、という体で、これからはあまり役立たないであろうことを、今までと同じように必死に教え込まされているのが現代の子供たちだ。
当たり前なことだけれど、人間は、子供のうちに、大人になったあとに自立できるようになるために必要なことを学ぶ。
だから、実際は、地表面に溢れているモノでなんとかしなくてはならないという、相当厳しい時代を生きなければならないだろうから、そのために必要なことを学ばないといけないんだけど、改めて考えてごらん。
そんなことを言ってくれる大人は近くにはいないんじゃないかな。
大人だって怖いんだ。
ずっと正しいと教わってきたことが、だんだん最適では無くなってきているこの世の中を。
認められないんだ。
『必要なモノを自分たちで作る』
おそらくこれから必要なことは、自分たちの問題を、いざとなったら自分たちで解決できる選択肢を持つことだ。
昔の人は生活に必要な細々としたモノは自分で作っていたし、一人では難しいことは協力して解決していた。
それを、協給協足(きょうきゅうきょうそく)という言葉で言い表そうと思う。造語だよ。
つまりは、自分達の手の届く範囲のコミュニティの中で、問題を解決できる体制を構築するということだ。
でもほぼ全員と表現できるほど、大多数の大人はやってない。これはなぜか。今はまだ、圧倒的に、自分たちでやるよりも買ったほうが安いからだ。
発達段階の時代に、そのスピードを最高速にもっていくために最適なのが、個人個人が物事の一部分だけを担当しあうやり方で、これを分業という。
個人の経済活動は生命活動の一部分だけしか担わないから、やらない部分は得られるお金で補っていく。
とても大事なところだ。よく聞いて。
結果、僕らは表面上、完成品を驚くほど安く手に入れられるようになった。
そして、その尻拭いで結構な割合の人がお金と時間をたくさん失う人生を送っている。
例を挙げよう。
とても安く手に入る食料の多くは、一時的にたくさんの人の空腹を満たすことができる。
けれどその中のとても多くの人が、昔にはほとんど無かった病気にかかり、医療のための出費と、病気のために失う時間が莫大に跳ね上がった。
表面上は安い。けど、これはお得なのだろうか?
抜け出そうとしてももう遅い。この分業の世界では、自分で作るための資材や道具や場所を手に入れようとすると、今度は逆に信じられないほどとてもとてもお金がかかるんだ。
だから完成品を手に入れるために、お金がとても大切だ。みんなお金を得るために大半の時間を使い、今度は体と心を壊し、回復という名の誤魔化しのために残りのわずかな時間を使う。
完成品が安く手に入るメリットと引き換えに、お金が無いと何もできない環境を押し付けられている。
それが今の時代だ。
『6080(ロクゼロハチゼロ)とは』
ということは、何かしらやり方を変える必要がある。
それが先に言った協給協足だ。
けれどここで踏まえておかなくちゃいけないことがある。
全ての物事は、入口から出口まで踏まえて結論を出さなければならない、ということだ。
それを作って使う段階だけを切り取れば綺麗に映ることでも、見えないどこかで何かがものすごく汚れているということが、この世界ではとても多い。
食事と医療の例で挙げたよね。
これらは単純に、お金で計ることができる。
入口としてはとても安くできたとしても、大量にゴミとなったそれらの処分や、そのために破壊されてしまった環境や生態系を再生させるためのコストは、果たしてどれだけかかるのだろうか。
基本的に、いくら綺麗にみえることでも、全体的にみて赤字なら、最初からやらないほうがマシだと思った方が良い。
それでは圧倒的に買った方が安い世の中で、協給協足を最終的に黒字になる活動にするためにはどうすれば良いだろうか。
必要となる材料はタダで入手するが、最低条件になる。
いま自給自足がイコール地方という話になってるのはそのためだ。自然豊かな場所ほど、資材がタダで手に入りやすい。
そうすると都市部では無理なのか。
僕はそうは思わない。
キーワードは、『ゴミ』だと思う。
ゴミとは、その時その場所その人の持つ技術では、活用する術がないモノのことだ。
6080は、この、ゴミを生活に必要なものに変える技術をまとめるために作られたサイトだと捉えてもらえば理解しやすいと思う。
もう少し言い換えると、今この時代に、人が活用法を見出せずに、溢れてしまっているモノの活用の仕方だ。
その考え方は以下の基準による。
・都市部でもできること
・完成品が、買うよりも安くできること
・少ない技術習得で十分使えるモノができること
これらを基準とした…
あらゆる工業
あらゆる農産・畜産業
あらゆる伝承技術
あらゆるエネルギー活用
そして2020年代。活用法を見出せずに世の中に溢れている代表的なモノは以下の通りだ。この辺を中心にこのサイトではまとめていく。
木質材料…(特に杉や竹)
金属…(主にアルミ)
プラスチック…(主にポリプロピレン・ポリエチレン)
その他自然素材…(植物性・動物性)
『なぜ誰も言ってくれなかったのか』
発達の反対を成熟と呼び、歴史をみると成熟期では、実は自分でやっちゃったほうが生きやすい。
長々と説明したが、今、明らかに成熟期に入っているよね。
でも大人は誰も自作しようとしない。
口を揃えて、自分にはできない、と言う。
なぜ無理というのか?
生まれた時から分業の世界で生きてきたから、必要だと思い込んでるクオリティの基準が、プロが売り物として作っているレベルだと信じこんでいるからだと思う。
その道のスキルが10あれば、10習得できないと、何一つできないと決めつけているからだ。
たしかにプロの道は甘くはない。人様からお金をもらうに足るモノやサービスを提供できるレベルは、一朝一夕で身につくものじゃない。
けどね、
自分の生活で使えるかどうか、を基準としたらどうだろうか。
実は10のうち2を習得できれば、6〜8割のことはできてしまうんだ。
例えば食事。
お客の入るレストランを経営できるほどの料理は作れないけど、自分が生きていくための食事はたくさんの人が作ってるだろう?
そしてそれは、生きていくためのエネルギーの摂取という目的を十分に果たしている。
ここもとても大事なところで、生きるために必要な技術が、難しいわけがないんだ。
とんでもなく習得が困難であれば、人類は数万年も生き延びていない。
だから、できっこないという大人は放っておこう。
完全に成熟期に入っているのに、発達期の生き方が楽すぎたから未だにやめられないんだ。あれはあれで可哀想なんだよ。
『さあ始めよう。できることから。』
歴史を振り返ってみると、100点満点の時代はどこにも無かった。
ココにはパラダイスもユートピアもない。どこで切り取っても、何かしらホコリは出る。
人類史なんてそんなもんだ。
残念だけれど、これを書いている僕らの世代も、かつてない課題を作ってしまい、それを君たちの世代に残すことになった。
それは本当にゴメン。
けどね、本当に本当に大事なモノも、かろうじて消さずに残せたと思うし、新しく創ることもできた。
願わくば悲観をせずに、前を向いて挑戦してほしい。
さあ、始めよう。
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