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母乳を与えた時を振り返って。【HTLV-1キャリアでもある私】回想・・28

あくまでも私の経験なのだが、子供たちに母乳を与えていた頃の事を思い出してみた。 出産は,1990年代後半だった。

第一子の時は「母乳神話」がまだまだ、蔓延っていた。その少し前は、子供を保育園に預けるのは可愛そうと声の聞かれる時代で、当時の私は将来、母親になった自分を想像し、何だか子育てすることは重苦しくも感じていたが、気持ちのどこかで子を授かりたくあった。子宮の具合が悪く、高校生の頃から産婦人科通いであった。医者からは不妊治療の話もされたこともあった。結婚して3年が過ぎて、不妊治療することなく授かった。子どもが無事に生まれ、嬉しくて仕方がなかった。

私の出産の頃は、働くお母さんが増えてきて「保育園に入れない問題」で大変だった。子育て本が溢れており「母乳派?」「ミルク派?」「紙オムツ派?」「布オムツ派?」なんていう特集ばかりであった。真面目に悩んだ。自然食品ブームも重なり、粉ミルクは可哀そうと聞いたこともあり、子どもにとって何が最善なのか・・髪を振り乱しながらの、迷いの子育て期でもあった。

第一子は、標準より大きく産まれ、母乳の飲みが凄かった。元気いっぱい!という子供だった。一生懸命にお乳を与えるのだが、出が悪かったので、母乳と粉ミルクで育てていた。ところが、産後に市町村から派遣されてきた保健師さんは厳しかった。母乳でないと認めない方で、近隣の○○式母乳マッサージとやらを勧められ、1回の施術?料が1万円というものに、せっせと数回は通っていた。 でも、私はすっかり疲れ切っていたのである。母乳を与える至福の時が、いつのまにかプレッシャーに変わってきた。そのうち、歯がうっすら生え始めた我が子に「出てない!」と(言葉は喋れないが)、思い切りお乳を噛まれながら振り回され、痛くて、痛くて。耐えられなくなり、直ぐに断乳した。子どもは、一晩泣いただけでケロッとしていた。離乳食になると、よく食べるので、母乳の事を気にするのはやめた。大人と一緒に「いただきます。」と、楽しく食卓を囲めることで、子どもの幸せな顔は、今でも思い出す。食べる事が好きな子に育ってくれた。

第二子は、出産直前の頃より元気がなかった。お腹の中で心臓音が弱いということがあって心配した。小さく生まれた。母乳の飲みも弱かった。出が悪いお乳と、粉ミルクで育てていた。体が弱く、生後7か月から、就学するまで入院を何度かした。小児喘息でしょっちゅう病院通いだった。吸入器のネプライザーという医療機器も購入するくらいであった。そこでまた、「母乳神話」に悩まされる。子どもが元気がないのは、母乳からの栄養を充分に与えられていないからだ・・と悩んでいた。子どもはいつも具合を悪くしているので、予防接種もなかなか受けられない。 しかし、母乳を与えるということは、出ないお乳でも、不安定な、子どもと私を安定させる事ではあった。

子供が1歳半になった頃、百日咳の疑いを告げられ、古い病院の、汚い4畳半の部屋の中へ隔離されてしまう。病院の決まりがあり、私が子どもと居られるのは、午後1時~8時までの間。結果が出るまでの1週間の隔離。子どもは、ベビーベットの中に閉じ込められていた。私が来ると抱き上げる事は出来るのだが、それ以外は看護師さんが来ない限り、ずっとひとりでベットの柵の中にいた。今でも思い出すと涙がこみ上げる。ある日病室に行くと子供が、自分の髪をずっとムシっていたり、柵に、何度も頭を打ち付けていた。1歳半の我が子は、精神をやられてしまっていた。他の病院でお薬処方のミスがあったり、不快な事もあり、やっと辿り着いた病院であった。「今はここしかない・・。」と、直ぐに連れて帰りたい気持ちをぐっとこらえた。私が行くとおっぱいを欲しがった。出ない母乳でも、与える事で子供が落ち着き、私も落ち着いた。

私たち親子を見ていた看護婦長に呼び出された。「一歳半になっても断乳出来ないのはおかしい。小学校にあがっても断乳できない親子を見てきた。小児喘息という病気は、親子関係の密着の問題もあるので、子どものためにお母さんが断乳を直ぐに決めるべき。」と厳しく言われた。ムッとしたが私のなかで反論の自信がなく、そんな事をきっかけに断乳した。子育ての先輩に「これは間違っているよ。」と、厳しく口出しされるのはキツイ。ましてや医療従事者の言葉だ。病気にさせてしまったダメな母と苦しむ最中でもある。そんな心の苦しみを医療者は、わかってはくれなかった。

子どもは、すんなり母乳を求めてこなくなった。  その看護婦長さんに言われたことは納得していない。 私・・私たち親子を、先入観の入ったひとくくりのパターンで収めることが、医療なのか。小児喘息のいる家族は問題ありと誰が決めたのだ。しっかりしたエビデンスがあるのか。小児喘息病棟なら、そのホコリだらけの、汚い病室を何とかするべきなのでは。。
一方、きっかけは違うが、HTLV-1ウイルスについて、母乳感染があるとは多くの人が知らない時代であった。キャリアであることを知らないで、私は母乳を与え続けていたのだ。
その時点で断乳できたことは、良かったことかもしれない。嫌な思い出だが良しとする!


時代が古いかもしれないが、断乳については、「子どもが自然に離れてゆくまで。」とも聞いていた。今のお母さんたちはどうなのだろう。
母乳については、どこまでも答えが出ていない。

今、HTLV-1のキャリアとわかり、母乳を与える事や断乳に別視点から、あの頃に振り返ってみた。 子に発病させるリスクがあるので、当時キャリアと知っていたら、直ぐに断乳はしていたと思う。 それは今の私だから、はっきりしている。子に感染させた恐れ(子に生涯発病しないでいて欲しいと願う!)を、この先も抱えてゆくのだから。
それでも、授乳当時なら、とても悩んでいただろう。助けになってくれる人もいたが、新米ママに口うるさい人も多くいたのだから・・。キャリアで悩むお母さんに寄り添う専門家、たくさんの支える力は必要である。私で、お役に立てることはないだろうか。どうして差し上げてあげれば良いかわからないし、なにも出来ない自分が歯痒い。

なぜ母乳の飲みが旺盛だった上の子は感染していなく、飲みの弱かった下の子へ感染となってしまったのだろう。出ないお乳・・含ませている程度であっても、1歳半までの授乳は長すぎたんだろうか・・。

母乳について、自分の体験したことでも未だに答えのでない・・難しい問題である。


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