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2023/8/19 練馬区立美術館

友人宅を訪れたあと、練馬区立美術館へ。
学生時代ずっと西武池袋線を使っていたけれど、中村橋で降りたことなんてなかった。懐かしい路線、新しい地。

開催されていた展覧会は、「練馬区立美術館コレクション+  植物と歩く」。全然自覚してなかったけど、牧野富太郎氏を描いた朝の連続テレビ小説「らんまん」に合わせた展覧会なのかもしれない。牧野富太郎氏が描いた植物標本などが展示されていた。
もともと植物は全然興味がなく、元を取るためにできるかぎり効率的な周り方をしたくて、友人宅を訪れたついでに、自分では絶対行かなかった美術館を訪れてみた。

東京帝国大学理科大学植物学教室編纂『大日本植物志』

まず感じたのは、植物は線の集まりなんだということ。

解像度の低い画像ではわかりにくいかもしれないが、細くはっきりした線を信じられないくらいたくさん使って、いろんな角度からひとつの植物を写し取っている。たしかに植物って葉脈があったり、とにかく繊維質な細胞の集まりだったなぁ。中学時代の理科(生物)の授業で植物標本を描いて提出したとき、「全然描けていません」とコメントを食らったのを思い出した。当時は何がどう描けていないのかさっぱりわからず文句を言っていたけど、あのときこの標本に出会っていたら、もっと気づきがあったかもしれない。

佐田勝氏作「野霧」

こんな光景をどこかで見たことがあるような気がする。夜の沼地、ざわめく植物たち。最後に塗られた土色の部分は、私には月の光を映した水面に見える。やはり私は輝きに心を奪われるらしい。そしてその「輝き」は、わかりやすくキラキラとした輝きでなくても、コントラストだけで表現できるのかもしれない。

温室のサボテンの絵

誰のどの作品なのか覚えていないけど、印象的な大作だった。何が印象的かって、構図と、質感。

画面いっぱいの緑が最初に目に入り、上方を見ると何やらアーチ状の骨組みがある。ああ、ここは…温室なのか。この緑は…そうだサボテンだ。改めて、温室からはみ出しそうなサボテンを見て、生命力を感じる。
鑑賞者の視線の動きを計算しているに違いない。

そして違和感があるのが、質感。輪郭ははっきりしているのに、なんだか絵全体が曇った感じがするのはなぜだろう。
よく見ると、油絵具ではなくて、岩絵具で描いた作品だった。油絵ではどうしてもツヤ感が出てしまうが、岩絵具だとサボテンの乾いた質感がうまく表せる。ついでに、ムラのある塗り方をして表面をゴツゴツさせているのも、面白かった。郷さくら美術館で知った現代日本画の概念を、早くもひっくり返された。美しいだけじゃない岩絵具の使い方もあるんだ、そんなことやっていいんだ。

エッチングで描いた植物の作品

こちらも誰のどの作品か思い出せないのだけど、黒地に白、ただそれだけで、繊細に植物と蝶を描き出した作品。小さな作品ながらインパクトがあった。時間が止まったような凛とした佇まいがステキだった。

佐藤多持『水芭蕉』シリーズ

特定の作家における、キュビズムの興りをみた作品群。最初はデフォルメされた水芭蕉だった絵が、どんどん単純化・ブロック化されていき、ついには線と丸だけの屏風絵になる。

抽象画には今まで全然興味を持てなかったけど、この水芭蕉シリーズでなんだか興味を持てた気がする。水芭蕉の、丸っこいペンで一筆書きしたようなフォルムを、どこまでもデフォルメして表現して、本質だけを表現しようとしたのかな、なんて。
たぶん、抽象画の大家たるピカソは初心者には高度過ぎたんだと思う。ピカソの晩年の作品を観ただけでは彼が何に挑戦していたのかわからないけれど、幼少期のスケッチから辿るとなんとなく掴めた気になってくる。でもピカソの挑戦をテーマに、生い立ちや初期の作品から晩年までを展示した展覧会なんてそうそうなくて、ただただ線で描かれた一見してわけのわからない絵だけを見ても、私はその裏にいるピカソと対話ができなかった。

そう、きっと、私は対話したくてアートに触れている。このアーティストはこのアートで何に挑戦したんだろう、何を表現したかったんだろう、何を伝えたかったんだろう、何に心を打たれたんだろう…
本人による詳しい説明書きが残されていない限り、その意図は知る由もない。でも、アートに向き合って心に響く何かがあったなら、それこそがアーティストが意図していたものかもしれない。

「あなたはもしかして、こんなことに挑戦していたのでは?」そんな対話を、私は美術館で、楽しんでいる。


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