全部だきしめて
最近、年中クラスの長男の保育園から呼び出しがあった。
年明けから、無気力の状態や、上手くいかないと感情のコントロールがうまくいかないことが多いので、一度相談を・・・っということだった。
次男が生まれてから、お兄ちゃんになった自覚と、お兄ちゃんなのにうまくいかない現状から、保育園の先生曰く「自己肯定感がどん底」の状態なのらしい。
たしかに年明けから、家庭でも注意をすると、「いじける、不貞腐れる」態度が増えて、なだめかた、治め方のアプローチを変えながら、試行錯誤している最中であった。
昼過ぎ、保育園終わりの長男と近くの公園に行き、砂場で遊びながら、
KinKi Kidsの「全部だきしめて」を聴いた。
昨夏の25周年コンサートで聴いて以来、子どもたちと重ねて聴くと、とても聴き方が変わった曲の1つである。
きみのすべてをぼくの自由にしたくて
ずっと大切にしてたわけじゃない
だからなにも信じられなくなっても
ぼくを試したりしなくていいんだよ
いいさ 落ち込んでだれかを傷つけたいなら
迷うことなくぼくを選べばいい
さびしさの嵐のあとで
きみの笑顔をさがしてあげるよ
(中略)
全部だきしめて 君と歩いて行こう
きみが泣くのなら きみの涙まで
全部だきしめて 君と歩いて行こう
きみが笑うなら きみの笑顔まで
長男を注意する時、長男はいじけたり、不貞腐れたり、部屋に閉じ籠ったり・・・
色々な方法で親を試してくる。「怒られた自分は悲しいし、傷ついたんだぞ」っと。
そんな時ついつい、傷ついたことよりも間違えたことを反省させたり、その他色々な正論を言いたくなる。
だけど、そんな時に。
あえて試させる器、傷ついた心の矛先として怒りを自分に向けさせる度量、そしてその後に、慰めて笑顔にさせる器量が
親として必要なもの、自分がなかなか手に入れられないものだと改めて気づく。
子ども達がうまくいかず、涙を流す時。そして壁を乗り越えて笑顔になれる時。
すべての瞬間を、全部だきしめて、過ごしたいな。と、思いを新たにした。
しかしながら、「全部だきしめて」
昔はここまで1番の歌詞が刺さることはなかったのだが、本当に深い。
この歌のような器の大きい人間になりたいと思った1日だった。