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氷河期世代のひとりごと
最近、氷河期世代のYouTubeをよく見る。
多分、初任給Upのニュースを頻繁に目にするようになったからだ。
自分は2003年、最も就職が厳しかった年に院卒(化学系)の女子。
はっきり言って、全く職はなかった。
そもそも、採用枠がない。女子というだけで、さらに一層ない。長く働くべき研究職に女性は要らなかった。女性は結婚で辞める、お茶くみ、の世代。女性活用の言葉なんて皆無。
氷河期世代は、使えない。そして卑屈。塊になって声を上げることもない。
本当にその通り。
就職できた人も、できなかった人も、起業して成功した人も、皆『群れること』『ともに成長する機会』がなかったに等しいと思う。
社内に同期もいない。学生時代の仲間と会おうにも成功者と失敗者が入交り連絡取れない。
上からは教育はなく、下働き。しかも氷河期後期だと、先輩は5歳以上年上。下に後輩が入ってくる気配もなく。
それぞれが孤独だった。群がれなかったのだ。
リーマンショック時も就職率が下がったが、状況は全く違う。
その時分には団塊世代も60歳定年を迎え、人が少なくなったことと、氷河期に人を絞った反省で、特に大企業は全く採用しない、ということはなかった。似たような就職率だったとしても、行先が違うのだ。
氷河期後期と比べ、身近に1,2年上の先輩もいただろう。『新人がやるべきこと』も分散できただろう。
そして、氷河期世代が40歳になる頃に始まる「若手育成」「年功序列の崩壊」。若手には入れてもらえず、評価されず打ち捨てられた世代。
ただただ絶望の中にいて、きっと、自分たちが高齢者になる頃は年金も崩壊して、殆ど貰えず、低賃金で働かされて死ぬのだろうなぁ、という今までの社会からの仕打ちのせいで暗い未来しか予測できなくなっている。
いくらお金積まれても、消費に回るわけがない。
そんな我々に、会社や国への忠誠心は求めないでほしい。
「会社や国を良くしていこう」なんて気はサラサラない。
我々は「恨み」しかないのだ。
会社や国の都合で調整弁として利用されたのだから、我々としても、会社や国を「利用してやろう」としか考えない。
結論はないけれど。
初任給が上がっていくことは喜ばしいし、その原資が我々の給料であっても最早何も言わないけれど。
どうか、過度な期待も過度な嫌悪も抱かずに、ただ平穏に少しづつ給料でも貰いながら生活させていただきたい。