他人に期待するひと。親切なひと。食べムラ子どもから考える。
親切な人には2つのパターンがあると思う。
①ただただ習慣のように親切なひと。
親切したことも忘れてしまうし、親切にしたつもりも本人にはない。
②親切をして「ありがとう」と言われるのが好きなひと。
これが少し厄介。
結局、この人たちは「ありがとう」という報酬を貰う「自分」が好きな人。
この手の人は、ありがとう、と言うとスバラシイ笑顔をみせてくれるけど、
たまにこうつぶやく、
作ったのに、あげたのに、「お礼がなかった」。
母がそうであり、夫がそうであり、時々疲れる。
料理を提供してくれるのはありがたいが、こういう人は確実に聞く。
「ね?どうどう?美味しいでしょ、美味しいでしょ?」と。
美味しかったら美味しいというから自分で判断させてほしい。。。
勿論、自分も①か②かと言われれば、②だ。ただ、そもそも自分が親切な人、と思ってすらいない(笑)。
「自分が親切だと信じている人」の「承認欲求」が怖い。
昨日、まだまだ食べムラの多い息子に、夫が丹精込めて作った、ナポリタンとハンバーグを殆ど食べず、無駄になり、捨てた。
夫「本当に、作り甲斐のない!もう知らん!二度と作らん」
激昂。シンクに残り物を乱雑に捨てる。
気持ちはわかる。自分も頑張って作った料理を何度子供に無駄にされ、怒ったことか。食べずにぐちゃぐちゃにだけされ、ゴミ箱に入る、結構時間のかかったかつての料理たち。
だけど、相手は2歳だ。諦めよう。
自分は子供のための特別料理を作るのをやめた。大人の料理のとりわけでいいのだ。大人2人分つくり、そこから取り分ける。
いちいち、子供だけに「笑顔が見たいから」と手の込んだ料理を作る必要はない。
むしろ、受け入れられなかったとき、子供に怒り、無視して、子供に寂しい思いをさせたり泣かせるくらいならば、作らない方がいい。
「今日は食べないかー、じゃ、食べてしまおう」
「今日は食べたか―、じゃ、自分たち用のご飯を新たにさっと作るか」
これでいい。
「せっかく、○○してあげたのに!」
「これ予約するのに、結構時間と手間がかかったんだよ?!」
子どもにまで承認要求を求める人たち。
感謝の強制(本人はそう思ってないと思うけど)は関係性も自分をも窮屈にするだけだから、捨ててほしいと思う。
そして、自分自身も捨てていこうと改めて思った次第です
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