70年代から続くファッションの話
■アメリカントラッドの呪縛
僕は格別おしゃれな人間ではない。着るモノにお金をかけることもしない。でも着る服に対するこだわりは少しだけある。例えばユニクロや無印良品などファストファッションの服、特にアウターウェアは、どうしても着る気になれない。価格と素材や縫製を見る限り別に悪くはないと思うし、デザインもベーシックなものが多く、特に欠点はない。でもヒートテックなどの下着やソックス以外は、実際に買って着ようとは思わない。そしてもっと嫌いなのがゴルフウェアだ。ゴルフウェアを普段着にしているオジサンを見るのは大嫌いだ。
そんな僕は還暦を過ぎたこの年になるまで、スーツやジャケットを着るときにはアメトラ(アメリカントラッド)一筋だ。要するに中高年になっても、バカみたいに「アイビー少年」を続けている。特にネイビーのブレザーが好きで、シングルなら3つボタン段返りでフックベント、ダブルなら4つボタンで胸ダーツのない「ニューポート」と決めている。秋冬物なら生地はフラノ一択だ。さすがに胸にエンブレムはつけないけれど…。ドレスシャツはオックスフォードの無地ボタンダウンが基本で、たまにタッターソールのブロード生地のボタンダウンなんかも着る。ネクタイはレジメンタルだ。ネイビーのブレザーに合わせるスラックスはチャコールグレーのノータック、裾幅24センチのダブルである。靴はプレーントゥが基本で、たまにローファーやチャッカーブーツ(クラークス)を履く。ブランドはリーガル一筋。そして寒くなるとステンカラーのコートを羽織ったり、ツイードのジャケット(ハリスツイードでエルボーパッチ付き)を着る。
ビジネススーツもシングルの3つボタンで、若い頃からJプレス(J.PRESS)の既製品を愛用している(時々はブルックス・ブラザーズ)。アメトラが楽なのは、一定のルールに準拠していれば手持ちのジャケット、シャツやネクタイをどう組み合わせても様になる点と、流行廃れ(はやりすたれ)がないので昔買った服でもずっと着続けられる点だ。毎年流行の服を購入する必要がない。またアメリカントラッドの服は、価格が安くて手頃な割に着る場面を選ばない。結婚式に呼ばれても、礼服なんて着たことはない。ネイビーのブレザー、白のオックスフォードのボタンダウン、レジメンタルタイで、充分にフォーマル感を出せる。幸いにも僕は20代の頃から体型に大きな変化がないので、30年前に買ったジャケットを今でも着られる。
一時期は、カジュアルウェアもアイビー一点張りだった。夏はコッパン(綿パン)で素足にトップサイダーのデッキシューズかコンバースのバスケットシューズ、冬はコーデュロイパンツにアーガイルのセーターかアランセーターを着ていた。コートはネイビーのダッフルコートかピーコートが好きだった。
僕が最初にファッションに興味を抱いたのは中学生の頃。クラスの中のませたヤツが「メンズクラブ」(婦人画報社 1954年創刊)なんかを教室に持ってきた。そこには当時一世を風靡したブランド「VAN」を中心とした「アイビーファッション」が紹介されていた。「くろすとしゆき」の書いた記事を夢中になって読んだ。「マドラスチェック」「タータンチェック」「タッターソール」とか、「3つボタン段返り」「フックベント」とか言う言葉を覚えた。「メンクラ」の中に「街のアイビーリーガース」という街角でアイビースタイルを着こなしている若者を紹介するコーナーがあって、よく見ていた。そこにされている読者やモデルやが着ている細身のスラックスやボタンダウンシャツ、七分袖のスェットシャツ(当時は「トレーナー」と呼んでいた)などをすごくカッコイイとは思ったけれど、自分で洋服を買えるようなお小遣いをもらっていたわけではないので、ただただ憧れただけだった。それでも高3の時に親に買ってもらったVANのネイビーのシングルブレザーとリーガルのローファーは、大学生になってからも長く大事に着続けた。
18歳の時に上京して僕が入った大学は金持ちの学生も多く、中にはアイビースタイルでばっちり決めている奴も多く、うらやましかったものだ。その頃とても貧乏だった僕は、いつも下はジーンズで上はM65ジャケットを着ていた。まあ後から考えれば、それはそれで「タクシードライバー」(当時は封切り前だった)のロバート・デ・ニーロみたいで悪くはなかったと思うけど…。
社会人になって給料を貰うようになってから、やっと憧れのアイビールックを身に纏うことが出来るようになった。
ともかく中高生の頃に知ったアイビーファッションをカッコイイと感じ、その時に覚えたコーディネイトの影響が、60歳を過ぎた現在まで受け継がれている。結局のところ僕は、いまだにアメリカントラッド的なファッションから抜け出ることが出来ない。
そして普段着、カジュアルウェアについては、これはもう昔からアウトドアブランド一点張りだ。これには理由がある。
■Made in USA Catarog
その後の僕のファッションに最も大きな影響を与えた本は、1975年に平凡出版(後のマガジンハウス)から出版された「Made in U.S.A. Catalog」というムックだ。そこには、アメリカの大学生のファッションやライフスタイルが紹介されていた。ジーンズにチェックのネルシャツ、首元には白いクルーネックのTシャツが覗き、足元はワークブーツ、そしてデイパックを背負ってる…、こんな作業服のようなスタイルは、当時の日本の若者は誰もしていなかった。L.L.ビーンやシェラデザイン、ノースフェース、レッドウィングといったブランド名は初めて聞くものばかり。ともかく新鮮だった。僕はこの本で初めて、「マウンテンパーカ」「ダウンベスト」「ダンガリーシャツ」などのアウトドア衣料、「デイパック」「バックパッキング」という言葉などを知った。もう本がボロボロになるまで何度も飽きずに読んた。当時登山が好きだった僕は、機能的で着易い服や持ち易いバッグを普段着に使うアメリカの若者のファッションに魅せられた。また、影響を受けたのはファッションだけには留まらない。自由で合理的なファッションのバックボーンとなる、ナチュラル志向のライフスタイルにも影響を受けた。カリフォルニア大学バークレイ校を歩く学生の姿に、映画「いちご白書」を重ね合わせて、その文化的な背景に憧れたものだ。
でも、この「Made in U.S.A. Catalog」(翌年に2号が出た)の影響を受けたのは僕だけではない。その後の日本の若者のファッションやライフスタイルに与えた影響は非常に大きかったと思う。その後、同じ平凡出版から発刊されていた「平凡パンチ」や「Popeye/ポパイ」などは、盛んにファッション特集をやったが、内容面でも「Made in U.S.A. Catalog」の影響を大きく受けていた。というよりも、よく知られているように「Made in U.S.A. Catalog」が雑誌「Popeye」のベースになっている。いずれも、「平凡パンチ」の編集長だった木滑良久と副編集長だった石川次郎が作った。1976年のPopeye創刊号のこともよく覚えている。確か「カリフォルニア特集」で、当時の西海岸の若者のライフスタイルを熱く紹介していた。まさに、「Made in U.S.A. Catalog」の延長として創刊されたような誌面だった。そういえば、現在でも人気のショップブランドBEAMSなども、この「Made in U.S.A. Catalog」の影響を受けてスタートしたと何かで読んだことがある。
でも、当時はこのムック本で紹介されたファッションは、まだどこにも売っていなかった。いや正確には、かの有名な麻布の由井昌由樹氏の店「スポーツトレイン」など限られたセレクトショップでは売っていたが、当時はお金がなかったので高価な服は買えなかった。だから実際に「Made in U.S.A. Catalog」で見たアウトドアファッションを自分で着始めたのは、20代も半ばになってからだ。その頃になって、やっと自分もアメリカに行って服を買ってくる余裕ができた。また、日本に居ながらにしてL.L.Beanやノースフェースなどの服やバッグをカタログ販売で購入することが出来るようになったのも、70年代の終わり頃からだ。
社会人になって少しお金に余裕が出来て、初めてシェラデザインの60/40のマウンテンパーカを買った時のこと、同じく初めてレッドウィングのワークブーツを履いた時のこと、ノースフェースのデイパックを背負った時のことは、今でも覚えている。これらのアイテムは僕が20代の初め頃まではかなり値段が高かったから、けっこう無理して購入した。当時(20代の半ば頃)、仕事以外はデートをするのもバイクに乗るのも、いつもシェラのマウンテンンパーカを着ていた。
ちなみに、80年代の半ばにコンピュータ関係の仕事で毎年のようにサンフランシスコに行っていた頃、バークレイの海の近くにあるアウトレットによく行った。BARTのバークレイ駅から広いユニバーシティ・アベニューをUCLAのキャンパスとは反対方向、サンフランシスコ湾のほうへ向かって緩やかに下っていくと、右側にノースフェースの巨大なファクトリー・アウトレットが、次いでマーモットの直営店、さらに海に近いところにシェラ・デザインのファクトリー・アウトレットがあった(今もあるかどうかは知らない)。このシェラデザインのアウトレットで、定番の60/40マウンテンパーカのB級品(小さな傷や縫製ミスがある)を90ドルぐらいで売っていた。当時は1ドルが120〜130円の時代で、1万円ちょっとで60/40パーカが買えることに狂喜して、何色もまとめ買いをした記憶がある。
ところで還暦を過ぎた僕が、散歩や居酒屋へ行くときに最近一番よく着るアウターは「スイングトップ」(スイングトップというのは造語・和製英語らしい)だ。それもマクレガー、もしくはバラクータである。バラクータがドッグイヤー襟でラグランスリーブ、マクレガーはシャツ襟でセットインスリーブだが、両方とも持っていてどちらも気にいっている。
ともかく、スイングトップは軽いからいい。そして、ジーンズにもチノパンにも合う。50代まではよく羽織っていたバブアーのワックスコットンのジャケットやL.Lビーンのオリジナル・フィールド・コートは、さすがに少し重く感じるようになった。