評価を下す会話は疲れるという話
久々に話してて疲れるという感覚に陥った
大学時代、なぜ自分には自分が行きたいと思う世界に行けないのかわからなかった。いま、私はあの頃の私に言えることを見つけた。
自分が本当は行かない理由を探して、周りに評価を下すことで自分から遠ざけているだけなんだよ。
今日、そのことを客観的に聞いててそう思った、ある人との会話があった。
身体の不調が出ちゃったらあとはよろしくね!
出るための布石として放つその言葉は、自分でそれを望んでいる。
〇〇がこうだから、〇〇なんだよね〜知ってた?
いやいや偏見を持たせるのはやめてくれ。私は私の解釈でその人をみたいのだ。あなたの共感マシンではないのだ。そこで評価を言い合っても何も生まない。
その時はとても盛り上がったりすることもあるけれど、帰り道1人でなんだか暗い気持ちを抱えてるのは、それらの言葉がもつ力が自分を引きずっているのではないか。
とりとめもなく記しましたが、書きたいと思う時は大抵何かしらのエネルギーが発生してるので書くべき時なのだと思う。
最近、自分にとっては優しい夜が続いていることに感謝して。
おやすみなさい。
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