対話のありがたみと難しさと
いつも拝読している、立教大学 経営学部の中原淳先生のブログにこんなことが書いてあった。
対話とは、
「違い」を認識するコミュニケーションです
対話とは、
「わかり合えないかもしれない相手」と「自分」が向き合い、相互の「違い」を表出するコミュニケーションを行うこと
をいいます。
何気ない表現なのに、私は雷がうたれたような気持ちになった。私がビジョンとして描いていた、〔先生たちが対話している学校〕のイメージが、本来の意味と大きくかけ離れていたからだ。
対話ってキラキラしていて、自由で、羽が生えていて、ワクワクして…。
いつのまにか、わたしは、ロマンチックワールドを展開していたようだ。違いを大切にしたいという気持ちと、現実は違いを確認するのが怖くて自分の意見が言えない自分。この大きな乖離から目をそらしていたんだと思う。
自分が変わる準備をして相手の話を聴く
そこでわたしは、ひさしぶりに、研修のために共に出張した同僚へいまの悩みをいろいろとぶつけてみた。
自分が、〔相手は違う意見をもっている〕ことを前提として、変わる準備をしてみたのだ。
すると、どうだろう。出てきた意見に対して、素直になるほどね、と思えたのだ。それどころか、〔自分がいたってフラットな見方をしている〕と思い込んでいたことに気づかせてくれた。
自分が、客観的に公平に見ている、って思っているほど、そう見えてないと思った方がいい。
そんな気づきを得た良い時間だった。
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