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乱れ撃ちされる「教養」
「世界のビジネスエリートが身につける教養『○○』」みたいな書名、もう珍しくもなんともない。○○には大概、美術史とか哲学とか宗教とか、大抵は人文系の学問分野が入っている。
段々こうした本が増えてきたけど、教養という言葉が乱れ撃ちされてるなあと感じる。
教養って、「実学じゃなくても(実学ってなんだって話だけど)実生活とかビジネスに役立つって知ってるよ!」ってドヤ顔するためのものなんでしたっけ?
「誰かと話した時に恥をかかないこと」
「雑談の時に知識を引っ張り出してこれること」
「自分の専攻じゃないものをさらっとくこと」
でしたっけ?
こういう本に価値がないとは言いません。一線の研究者が書いてるのもあるし、内容としてはその分野の面白いところとか、実生活やビジネスにも通底する知識・教訓なんかを拾ってきてる。ある分野を食わず嫌いしないようにするにはとても役立つ。
でも教養って、誰かに提供されたお手軽な面白さを味わうことじゃない。
本来の定義は色々あるのと思うので、私見を。
思うに教養って、姿勢のことなんじゃないかと思う。
アカデミックな各分野について、知りたい、分かりたい、と思うことであり。同時に全部知ることなど不可能な深さを認識することであり。
得た知識を自分のもってるものと合わせて組み立ててみることであり。
その分野に触れれば、「はいはい知ってる」とも「わからないね、知識がないから」とも言わず、拙くても「こう思うんだけど」とか「こういうことが関連すると思うんだけど」とかって、頭を働かせ。
で、各分野の相違点なんかを探してみたりする。
というような頭の加熱しそうな作業を細々とでもやり続けようとする人が、その姿勢を称えて、教養人と呼ばれるんじゃないでしょうか。
なんて、学生の、自分の時間がたっぷりあるやつの戯言でしょうか。
それじゃあ、また。