自分をもっと軽率に褒めてよかった
こちらの記事を読んで、「苦しかったときの話をしようか」を買ってきました。
その中で「自分の強みを見つける」ためのワークとして、以下のようなものが紹介されています。
1.自分が好き・好きだったこと(=動詞)を50~100個ポストイットに書く
2.それをThinking, Communication, Leadership, その他のいずれかに分類する
試しにやってみたらT:C:Lが4:1:2くらいになったんですけど、まあ結果はどうでもいいのです。
「自分の強みが人より秀でているものである必要はない」
としみじみ実感できたのが、このワークの一番の収穫だったので。
このワークのために記憶の引き出しを荒らしまくりました。
そしたら案外色々思い出すもので、例えば
中学の国語の授業。魯迅の「故郷」を題材に、先生から出された問いを考えるのが楽しかったこと。「高塀に囲まれた屋敷の上の四角な空ばかり眺めていたのだから。」って部分がこういうことを暗示してるのでは?みたいなことを言ったら、「ここに着目した人は初めて」って褒められて嬉しかった、とか。
「パソコン通信探偵団事件ノート(通称パスワードシリーズ)」とかのパズルを解くのが昔から好きで、今でもテレビの論理クイズとか躍起になって考えるし、先に誰かに解かれるとめちゃくちゃ悔しい、とか。
なんならLeadershipに入れた、「文化祭でクラスを取り仕切るのが楽しかった」とかも、一番好きだった作業は皆の段取りやモチベートする方法を考えることだった。先頭で引っ張っていくこと自体はめちゃくちゃ辛かったけど、当日の動き方のマニュアルを一人一人へのコメントを添えて作ってた時は、眠気も忘れて夢中になってた。
などなど。
Thinkingの場所に並べられたポストイットを見て、
「自分の中の秀でたものは、相対的にも優れていなければならない」
という自分の中の葛藤が崩れた音が聞こえた気がしました。
中高と非常に地頭がいい人たちに囲まれてきました。彼らと話すのは刺激的だったけど、同時に自分の考える力など、着眼点も論理的思考力も思考の体力も、どの点をとっても大したことないと自信を失っていた。だから無意識に、「自分は考えるのが苦手だから、仕方ないんだ」と自分を守っていたのかもしれません。
「自分って考えることが確かに好きだし、よくやってきたし、それで小さな成功経験も積めてきた。そのことだけは、胸を張って言えるんじゃない?」って思えたらいいじゃないか。もっと軽率に、軽々しく、自分はこういうことが楽しくできるんだって言えるじゃないか!
自分が与えられ、無意識ながら積み上げて使ってきた武器と、これからが繋がりそうな予感がします。
森岡毅さんの言葉を借りれば、あとは「その宝物を磨いていくだけ」
久々に、自分の未来に心躍る感覚を取り戻せたかな。
それじゃあ、また!