「辛いのは自分だけじゃない」を笑い飛ばせ
「自分だけが被害者じゃない」「辛いのは自分だけじゃない」「他にも頑張っている人がいる」といった類の言葉が嫌いで嫌いで仕方がない。
見聞きする度にTPOも忘れて「おえっ」て顔をしてしまう程度には嫌いなんだけど、感覚で語ってても仕方がないので、もう少し嫌いな理由を言語化してみることにしましょう。
自分に向けての「辛いのは自分だけじゃない」
自分に向けてそういったところで、果たして何になるのでしょうか?
まず、間違っても「自分も頑張らなきゃ」とはならない。
なぜかって、自分と同じ状況にいる人が、それでも案外楽しそうにしてんじゃん?って、「自分と違う他人の姿」に気づけて初めて、あれ、辛い原因って何だったんだっけ、これって、こういう風にも思えるんじゃなかったっけ、ってマインドチェンジできる。
実際もっともっと自粛ムードだった時、我々を元気づけたのは決して医療従事者や家から一歩も出られない大学生のニュースではない。オンラインで解放された無料のコンテンツを嬉々として利用し教えてくれる人とか、今だからこそのユニークな企画を考えてくれる人だったはず。
仮に「いやいや、自分も頑張らなきゃってなりますよ?」って人がいたとして。
その場合、具体的な「あの人」を思い浮かべてませんか?あの人よりも自分はこういうところで恵まれてるんだから、だから頑張れる、となってません?人間、そこまでふわふわなイメージで頑張れない。
でもさ、そういう相対的な価値評価って、そんな長続きしますか?
下も見えてるなら、上が見えてないはずない。だから自分よりちょっと辛そうな人とちょっと辛くなさそうな人との間で、情緒が行ったり来たりするのに終始するに決まっている。と思う。
しかも具体的な人を思い浮かべた時点で、その人のいる環境とか立場とか、はたまたそれらすべてに関してその人がどう思ってるかを決めつけてることにはなりませんか?
思考の中だけだとは言え、それってめちゃくちゃ失礼だと思う。
他の人への「辛いのは自分(=あなた)だけじゃない」
誰かの苦しみを客観的に評定して、他にも辛い人がいる、なんかよく言えたもんだな、って感心すらしてしまう。
その人が主観的にはどう思ってるかも、そもそも客観的な評定だってあなたの主観でしかなくて、本当はどうなのかもなーんにもわからないのに。
その人が死ぬほど苦しんでても、「それって大したことないよ」って言ってるのとそう変わりないことに、気が付いてますか?
まあこと後者に関しては「お前に言われなくたってダメなのは自明でしょ」って方が多いと思いますが、自分に言い聞かせているだけで他人には絶対言わないようにしてます、なんてことができる人、そうはいないのでは?
「辛いのは自分だけじゃない」に、安易な共感を示さないでおこうと思う。「だから何?って思わない?」とか「勝手に理解した気にならないでほしいな」とか、返し続けたいなあと思っている。
それじゃあ、また。