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腫瘍が見つかって人工関節になった話3






こんにちは(^_^)
part3です😼



今回は千葉の病院についてから。



長旅だった〜やっと着いた~と安心する間もなかった。

まず、当日主治医が不在で、詳しい説明は明日の朝先生が来てからになりますと言われた。
わけもわからないまま過ごすことが不安で嫌で、それに長野の病院のあたたかさを思い出して、寂しくて病室ついてからずっと涙流してた。

代理の先生が来て、
手術前に腫瘍の部分の細胞をとる検査(CT下針生検)が必要なこと、その検査結果は出るまでに1週間くらいかかるということ、結果が出てから計画を立てるため、手術は最短でも1週間後、おそらく10日後くらいということを伝えられた。



聞いた瞬間に絶望して話聞きながらずっとズビズビ泣いてた。先生困惑。



9月の頭に退院できるかもと勝手に思っていたら、手術できそうなのが8月の最後の週あたりで、じゃあ入院は1か月は最低でもかかるんだと知って本当に悲しかった。


コロナで面会禁止だから、病状説明や手術の立ち合いでほんの2,3回親と顔を合わせる以外一切誰にも会えないのか。
千葉に帰ってきて慣れた土地なのに長野よりもずっと孤独に感じた。長くてやだはやく帰りたい痛い手術まだ?痛いしなんでこんなことになってるの?ってわーわー泣いた。みっともないですねえ


腫瘍専門の病院に来たことで、徐々にただの骨折じゃないんだということに実感がわいてきて、心がどんどん折れていった。 

4人部屋の病室に運ばれて、全部埋まってた。
カーテンの下から少し見える隣の入院者の歩いている足を見て羨ましくて泣いた。スタスタ歩いたり自分でご飯取りに行ったりできない。

4人部屋だから電話とかもできない。
救いが欲しくて彼氏に電話したり友達にねえ聞いてよやばいの!!ってやりたかった

脳死でつけたテレビで当時マイブームだったこち亀が流れてて、あ、両さん~、、って少し元気出た。


夜ごはんの時間になっても消灯時間になっても延々泣いてた。



夜寝る前、お尻がものすごくかぶれていることに気が付く。
おそらくオムツ蒸れ。ただれはじめて、かゆくてかゆくて幹部が熱持ってるから熱くて寝られなかった。



次の日、昼頃親呼んで病状説明や今後の計画について主治医とお話があった。

その時、同時に個室に移れた。歩いてラウンジ行ったり売店行ったり、院内歩けるならともかく、ずっと寝たきりで今の精神状態で多床室に居続けるのは心が終わってしまう、、と思ったので、空き次第移りたいとお願いしていたら、すぐ移れてとてもラッキーだった。
個室やっぱり高いけどのちのち保険から降りてよかった。 



主治医から何の話されるかな大丈夫かなとドキドキ不安だった。


明日、CT下針生検という、腫瘍部分に麻酔をして細胞を取り出す検査を行う。おそらく骨巨細胞種という良性の腫瘍だが、確実なことはそこの病理検査結果が出ないとわからない。
結果によって治療方法が変わる。
良性ならすぐ手術で取り出す。悪性なら抗がん剤治療を行うなど、また別の方向からのアプローチが必要になる。

だが年齢や症例などからも考えて、9割方骨巨細胞種だと考えられる。
今回はもしそうだった場合、手術の際に現在の関節を残した手術を行うか、人工関節置換術を行うかの話。


まず、かなり腫瘍が成長している。発症したのはおそらくここ半年~。
腫瘍細胞が周りの骨をどんどん溶かしていたため、私の膝周りの骨はカスカスに。そのため、転んだ衝撃でそれが引き金となり、膝関節の骨が粉砕し、ぐしゃぐしゃに押し潰れてしまった。




自分の骨を残すか人工関節にするか選べるが、どちらもメリットデメリットがある。骨巨細胞種だと仮定して話す。



そもそもこの骨巨細胞種という腫瘍は、良性枠ではあるが、再発率が非常に高いため、良性とはいってもグレーの部類。
またこの腫瘍、10-20代の若い世代に発症しやすい。原因はわからない。遺伝とかではなく、たまたま細胞が活性化しやすい体質だったのかもしれない。
あとまれに悪性化して、肺転移起こすものもある。





まず自分の骨を残す方。
これは腫瘍の再発率が60パーセントくらいある。
また、ほとんど骨が吹き飛んでいるのもあって、きちんと歩けるようになるまで1年くらいの長いリハビリが必要。
非常に稀に、 元通りに曲がることもあるが、なかなか曲がりにくく、40度くらいで固まって曲がらなくなってしまうことも多い。とにかく地道で長い辛抱強いリハビリが必要。歩けるようになっても、足は一生引きずって歩くことになると思われる。
ただ、もともとの自分自身の骨なので頑丈で重さや衝撃に耐えられる。


次に人工関節。人工関節だと再発率は40まで下げられる。それ以上は下がらない。 
手術後数日で歩けるようになったりと回復は非常に速い。だが、最大でも関節は110-120度までしか曲がらない。
正座はできず、激しい運動やスポーツも一生できない。負担をかけてはいけないので、重い荷物を持ったり等もできない。

また、人工関節に寿命があり、15-20年に一回、取り出して新しいものに取り換える必要がある。
20歳で一度目行うと次は35-40歳、その次は、、と一生付き合っていかなければならない。
半年間くらいは杖歩行で、その後リハビリが順調ならば元通りスムーズにに歩くことができる。


どちらもメリットデメリットがあるが、今回の私の場合、自分の骨が多く損壊していることもあり、人工関節がおすすめではある。だが最終的に決めるのは本人。

自分の骨を残して手術した場合、再発したらもう選択の余地なく2度目からは人工関節となる。
骨巨細胞種の再発率は、術後1-3年にもっとも起こりやすく、3年を超えたらほとんど起こらないとまで言える。
リハビリに1年かけて頑張っているところで、もし再発が見つかると、すぐ人工関節置換の手術を行うため、自分の骨を基盤とした1年のリハビリが水の泡となってしまう。
また、痛みの観点でも、人工関節のほうが痛みが少ないといえる。



以上がだいたいの主治医の話。
話聞きながら両親は衝撃受けてショックで泣いていた。私は人工関節一択だな~と考えていた。

再発リスクが高い中、もし次に再発したら問答無用で人工関節になること、今までの自分の骨でのリハビリ全部おじゃんになるのは絶対に耐えられないし、長すぎるリハビリも心が折れてしまうよなーと思っていた。


ただ、体動かすことが好きなので、スポーツできない走れないはショックで呆然となった。


ゆっくり考えていいとのことだったけど、人工関節にしますとすぐ答えた。


私はその時全く泣かなかったけど、両親が泣いているのを見ててとても苦しかった。つらかった。



今までの生活で、左足だけ違和感を感じたりすることはなかったか聞かれた。たしかにあって、階段降りるときとか左膝だけ痛かった。でも仕事柄、身体を動かしたり足に負担かかることも多いから、特に気に留めずにいた。



話が終わって両親と先生と別れてから、個室デビューなのでまずは職場に電話した。めちゃくちゃ驚きながらも、とっても優しくてあたたかい言葉をかけてくれた。 

彼氏とも電話した。たくさん説明した。腫瘍なんて少し遠い世界のもので、まさか自分がこの歳でなるなんて思ってもなかったから、頭が追い付かないって話してた。
冷静に主治医の話聞けていたけど、なんで?どういうこと?もう全くの元通りには何が何でもならないの?ってなってた。
つい数日前までは跳ねたり走ったりなんでも出来たのにもうできないの?ってちょっと信じられない感じ。


ちなみに人工膝関節の禁忌は、
正座・激しいスポーツ(バスケ、サッカー、バドミントン、テニス、、、など)ジョギングやジャンプも×。
重い荷物持ったりと、足に負担がかかることもNG。

ゴルフとか大人しめの水泳とかはできる。けど走りたいしここから一生はきついきつい。
私1年半くらい筋トレ趣味にしてて、それもかなり制限あるから今までみたいに全然できない。

活発に動けないことも嫌だし、一生人工関節だから死ぬまであと数回入れ替える手術しなければならないことがしんどかった。
人工関節は高齢で自身の関節がもろくなったりした人に勧められている。
言い方もなんだけど今後の寿命も加味して人工関節の再建を検討される。
人工関節の寿命が15-20なためそういった恒例の方に対しては、次入れ替えるまでに本人の寿命が尽きてしまうか、なんらかの身体の不具合で歩けなくなったりしてしまうか。なので入れ替える心配はほとんどないと言っていい。言い方あれだけど


私は順当に生きられれば医療の進歩とかもあって80はゆうに超えると思う。人工関節の寿命のMAX値 20年ごとに入れ替えるとしても、あと2回、、、しかもおばさんおばあさんになって手術に入院にリハビリきつすぎる、、、40歳60歳でどんな生活送ってるかはわからないけど、もし家庭があったら色々迷惑かけたりしちゃって大変だろうな〜、と思う。

けど自分の骨での手術は全然魅力に感じなかったからやはり人工関節。魅力も感じずリスクも高い。
リハビリ次第ではもう周りから見てもわからないくらいスムーズに生活している人が多い。がんばろ〜と思った

学校で体育の授業があるとかではないから、猛烈な疎外感を覚えたりすることは無さそうだけど。
それでもこの歳でこれから一生これら全部できません、もしやったら脱臼してとんでもない痛みと人工関節の再手術・入院生活に長いリハビリが待ってますよ~って。無理でしょう~。私はとっても無理

別に全然大丈夫、体動かすの好きじゃないしって思う人は、活発に動ける選択肢があるからそう言えるんだと思う、選択肢がそもそも奪われるとやっぱり悲しいし絶望する。

私夏サーフィンとかマリンスポーツしたいし、プールのスライダーとかまだまだ乗り回したい。冬はスノボ行きたい。たまに中学の時やってたバドミントンしたいしジョギングもしたい。けどできない。アクティブな外出に誘えないし誘われないのも悲しい。誘いを断るのも悲しい。行くのだるいけど行ってみたら楽しかったわ~とか言いてー------。やりたいし行きたいよー----




さて感情がもりもりに入って少し卑屈っぽくなってしまったけど、part3ここまでです!
まだまだ続くので良ければ次も😸









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