早起きしたいから徹夜で仕事するというていねいな暮らしの呪い
私の朝は、いつも早い。
カーテンを開けると目の前には夜の闇に紛れた海。だんだんと空が白んで空と海の境界がはっきりしてくるのがだいたい5時で、まだ家族が起きない唯一のひとり時間。キッチンに行ってコーヒーを入れ、海が青色を取り戻すのを眺めながら気まぐれに読書するーー。
というのはだいたいというか全部嘘で、まず海の見える家に住んでいない。窓を開ければ見えるのは向かいの家と電線だけ。コーヒーも飲まないというか飲めない。本は読むが、直近で一番面白かったのは「追跡 金正男暗殺」。この本は2020年上半期に読んだ本で間違いなく1位と言えるが、表紙を見てお分かりの通り、どう見ても朝読む本ではない。最大の嘘は、朝全く私が起きれないことである。
深夜のラジオとソリティアが俺を狂わせた
朝起きられないといっても、家族がいるので7時過ぎには起きる。ドヤってみたものの、家族で一番最後だ。私の家族は早起きで、全員寝起きもいい。夫が朝食を作ってくれているので、特に朝の仕事はない。みんなが食べ終わった頃に這うように起きてくる母役を演じる、私こと私です。
幼少期はそれなりに早起きだった。学生時代に寝坊で遅刻したことなんて一度もなし。高校は電車で一時間だったので、6時半前には起床して朝ごはんもしっかり食べ、なんなら軽くメイクして朝の連続テレビ小説「あぐり」をBSで先取り視聴して家を出る、ていねいな暮らしを送る女子高生だった。
そんなある日、自室にラジカセを置いてもらったことで、時々深夜ラジオを聞くようになった。が、健全な学生なので眠い。1時から始まるラジオのジングルだけ聞いて夢の中。肝心のラジオはカセット(!)に録音して聞いた。お気に入りのコーナーもできて、いくつかハガキを送った。何度か採用されたので「お母さん、聞いて!ラジオに送ったから今からちょっと私のネタ再生…」言えなかった。川上麻衣子がスウェーデンでフリーセックスに出会った〜みたいな下ネタ前回のどうしようもないネタだったから。ちなみに、このネタの元ネタを知りたい人は勇気を出してググってほしい。実際はそんなにひどい下ネタでもないです、念のため。
お便りが採用された回のカセットは3回くらい聞いて、プロテクトのために爪を折って保存した。ずっと先になって実家を出るとき、親に持たされた「お姉ちゃんのおしゃべり」という箱の中には、私が0歳で喋った喃語、4歳でデタラメに語った白雪姫、妹とやってみたミュージックステーションのモノマネなど、甘酸っぱい少女時代の思い出のカセットが詰まっていた。その端にフリーセックスネタが採用されたカセットを詰め込んで、私は家を出た。全く薄汚れちまったナ…などとつぶやきながら。
ありがちな展開だが、大学生になった時点で私は早起きができなくなっていた。午前中の授業はほとんど入れず、「ハァー起きて半畳寝て一畳」などと言いながら実家のリビングのソファに寝転び、朝からリモコン小脇にワイドショーをずっと見ていて母に鬱陶しがられた。この「半畳御殿」で夏は高校野球の全試合も視聴したし、夕方にCSで再放送されていた「渡る世間は鬼ばかり」第1シーズン1話から最新シーズンまで全て見た。当時は友人に「今週の渡る世間」というメルマガも配信していたのだが、その話はまた今度。
大学に行ったり行かなかったり行かなかったりで清貧を装った穀潰し生活を続けた結果、夜あまりよく眠れなくなった。0時になって家族が寝静まると、パソコンをビョワーンと立ち上げて、ソリティアをクリック。カードをめくっていると、なんとなく時が過ぎていく。マイクロソフトのチャットで今起きていそうな友人に話しかける。彼女は高校、大学の同級生で、学部も一緒。いろいろあって自分で学費を稼がなければならなくなり、高田馬場のキャバクラで働き出した。美人で気が利くこともあってあっという間にナンバーワンになり、看板に出てほしいと店に頼まれて、その看板が早大生なら誰もが通る高田馬場駅前に特大サイズで飾られた。彼女と一緒に取っていた授業の先生に「キミ、さかえ通りの『ファルコン』(仮)の看板に出てない?」とストレートに聞かれたときは笑った。ああいうのは大人はスルーしてくれるものだと思っていたから。
そんなこんなで、ナンバーワンと私はよく夜中にソリティアをした。使いたくもないおべっかを使って帰宅したナンバーワンはいつも疲れ切っていたが「気が高ぶって眠れない」と言っていた。時々チャットしながら、でもいつも黙々とソリティアをした。たまに上海をやったこともあったが、あれは夢中になりすぎて胃が痛くなるので、やっぱりソリティアをやった。深夜ラジオを聞き流しながら、画面の向こうの友達と無言でソリティアをする。3時すぎたらなんとなくベッドに潜る。
私はなんで朝起きられなくなったんだろう。
都市伝説「夜中に書いた手紙がヤバイ」は真実
大学生だった当時、私は映画製作に夢中になっていた。授業では映画史やメディア論を学び、サークルでは自主映画を撮っていた。自分で脚本を書いて監督をして、編集してできた作品の上映会もやった。文化系早大生の御多分にもれず、あの頃の私は「自分のつくる作品めちゃめちゃ面白い!」という根拠のない自信に満ち溢れていた。
今思えばいろんな映画のオマージュという言い訳を借りたパクリだったりするのだろうが、「見ている人が飽きないように尺はできるだけ短く」「タイトルは引きが強いものに」「最初のカットは印象的な構図で」。これを徹底的に意識した。余談だが、この3つの考えは今もウェブ記事をつくるときに意識している。「まず目を引き、最後まで食いついてきてもらう」ことは自主映画でもウェブ記事でも同じかもしれない。
サレジオ教会から逃げ出した花嫁がアルタ前、ゲームセンター、ロイヤルホスト、芝浦ふ頭をさまようシーンを全編静止画で撮った「ハードボイルド(仮)」
おでこに爆弾を埋められた男が、逃げ出してきた見知らぬ花嫁にそそのかされて国会議事堂を爆破しに行こうと目論む「ハードボイルド忠臣蔵」
どこかで聞いたことのあるようなないような話ではあるけれど、つくって人に見せるたびにかなり受けた。
戦争に行きたくないとごねる息子、折檻する母。ある日息子がしゃんしゃんシンバルを叩く猿のぬいぐるみに変身していた「ソドムの卍(まんじ)」は早稲田映画祭で入選した。
私は私の作品を面白いと思っていた。ソリティアのカードをめくる手を止めてひらめいたことをひたすらPCにメモして、友達にメールして、ときには電話して寝ている相手を叩き起こして話をした。朝になったらこの話は絶対に面白くないから(実際そうだった)、空が白むまでの時間を惜しむように映画のネタについて考えた。
学食でみんなで集まって話したり、授業が終わった後にどこかへ遊びに出かけたり。人によっていろいろな青春があると思う。でも間違いなく、大学時代の私の青春はあの真夜中のひとときだった。
その後、社会人になって真っ当な時間に働くようになり、子育てもしている。
なのに、私はなんで朝起きられなくなったんだろう。
アラフォーの私が眠れない理由
起きられないの裏には、やはり眠れないという当たり前の理由が隠れている。眠れないのは、夜中に考えたいこと、インプットしたいことが多いからだ。
ライターとして取材して得た情報をアウトプットする日々。子どもの話を聞いて求められている回答与える。たまに人とランチすれば、誰それがどうしたという話をする。
そんなとき、「あーとりとめもなく役に立たないことを考えたいなー」という気持ちが頭をもたげてくる。有言実行、実際にやっているのは本当に役に立たないことで、真夜中に警察小説を読んで「クゥー男社会って!」と言ったり(心の中でね)、アメブロの子育てランキングを上から下まで読んでみたり。そういえばあの会社で一緒だったあの人なにしてるんだろう?と思ってスネークしたりもする。
でも、この時間のおかげで、役に立ちすぎることばかりの日常とのバランスがうまくとれているのかもしれない。大人になるにつれて置いてきた自分らしさが、ひょっこり顔を出す。それが真夜中なのだ。
早朝に起きてコーヒーを飲んで、家事を始める前に朝の静かな街をランニングとかしてみたいな、と言いつつ、そんなこと1ミリもやりたくないし。グタグタ書いているうちにもう朝の5時。せっかくだからこのまま起きていて、せっかくだからちょっと仕事して、早起きを偽装して家族を驚かせようかとも思う。でも朝食をつくる私の手は眠気のあまり少し震えていて、ていねいな暮らしとは程遠い。
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