週記 10/12〜10/18
10/12(月)
朝6時に起きてローラーを回す。空腹はプロテインでごまかす。軽くやっただけなのにしっかり疲れた。やっぱりこういう運動の仕方はあんまりよくないんだろう。それでも気が済んだからヨシ!
入社者がいたので早めに出社。ゼロタッチキッティングといえど、たまに失敗するので一応いることにしている。入社のたびにEnrollmentのタイミングでやることが増えている。それに応じて、何もさせない時間も伸びてるので、そろそろDEP Notifyやらんとなあ、と、検証は始めている。
10/13(火)
週末のフレッシュのために、ジャージやビブ、サプリ、補給食などの細々としたものを朝からリュックに詰めて、昼休みにヤマト営業所まで行って往復宅急便で送る。僕はゴルフをやらないので、自転車をやっていなければこの便利な制度を知らずに生きていたと思う。
妻が飲みに出かけたので、夜は娘と2人だった。保育園から歩きながらおしゃべりして帰って、オムライスを作って、三方六の残りを食べて、風呂で石鹸で風船を作って遊んだりして、絵本を読んで、寝た。平和だった。
10/14(水)
昼に、元ヤフーの中村悟さんという方が、マインドフルネスの触りを教えてくれる会を弊社向けに開いてくれた。認識の揺らぎを意識して、自分を客観的に把握するというのが肝だと理解したけど、合ってるのかな?色々気付きがあったいい時間だった。ジャーナリングを生活に取り入れてみようと思った。考え方自体は、「俺」の「ゼロになる快感」と似ている部分があると思う。向こうは認知心理学の実践、こちらは小市民の雑感という格の違いはあるけども。
午後から出社した。会社の冷蔵庫に入っている酒がもうすぐ処分されてしまうというので、帰り際にシャンパンを一杯だけもらって飲んだ。捨てられそうになっていたくせに結構いいやつだったらしく、美味しくいただいた。
10/15(木)
家からいろいろな打ち合わせに参加した。そこにプラスしてどうしても試してみたいことがあって、隙間時間に色々なAPIを打って検証してみたり。せわしないが、充実していた。
休みを取っていた妻がまつげパーマなるものに出かけて、パッチリとして帰ってきた。「パリジェンヌ・ラッシュ・アップ」という手法らしい。パリジェンヌ...。多分だけど、この名付けはフランスでされたものじゃないと思う。
10/16(金)
午前中半日仕事したあと、翌日からのフレッシュのために松本に前乗りする。自転車をガチャガチャと新宿まで持っていって、15時ちょうどのあずさ33号に乗り込んだ。
松本駅前のビジネスホテルにチェックインしたあと、一緒に参加するメンバーと作戦会議という名の飲み会に繰り出した。松本には初めて行ったが、ごはんがおいしい!!特に馬刺しがもう。馬刺しってこんなに美味かったのか。日本酒も素晴らしかったらしい(僕は2杯目以降そば茶を飲んでいた)。
翌日に備えて、早めに寝た。翌日の天気予報は、本降り。チームメンバーはこちらで触れたおじさま二人との3人チーム。
10/17(土)
フレッシュ当日。フレッシュ(Flèche Vélocio)とは、ブルベのチーム戦で、自分達でコースを作り主催者の審査を受けた上で、メンバー全員で360km以上先のゴールを目指す。僕達は3人チームで参戦。松本から諏訪湖経由で富士見峠を上り、富士川沿いを南下して静岡の興津に向かい、そこから熱海峠を越えて東京まで東進するコースを引いた。が、結論としては、興津でリタイアとなった。原因は僕。
思えば、ケチは朝からついていた。天気は前日の予報通りきっちり本降り。朝、ホテルのガレージで自転車を準備しているとき、僕の携帯空気入れが壊れた。さらに、レインシューズカバー のバンドが出発した瞬間にちぎれた。
それでも富士見峠までは割とご機嫌にサイクリングができた。モンベルのレインウェアはやはり優秀で、ブレーキの制動距離とスリップさえ気にしておけば、ざあざあ降りの雨でもいつものサイクリングと変わらないとも思えた。
が、人間は長時間雨に降られてもいい仕様とはなっていないようで、富士川を降ってるうちにだんだん調子を維持できなくなってきた。しかも気温は10度前後。クライム時には白い息が出た。
そうこうするうちに、ペダルを踏めなくなってきた。ハンガーノックか?と思ったが、あるとき突然左膝(の腸脛靭帯という箇所)が痛み始めた。いつもなら絶対に傷まない(そういうフィッティングをしている)箇所なのに!そして、その予兆を感じられないくらい雨と寒さで感覚がやられていた。気がつくと腰もやられていて、自転車に乗るのが苦痛でしかならなくなっていた。
興津のPCに着いた時、仲間二人に正直に「腸脛と腰をやられたので、踏めない。ここでリタイアしたい」と言った。フレッシュのレギュレーションでは、チーム3人以上(5人まで)が同時にゴールしないと、完走と認められない。つまり、僕がリタイアするのは、そのままチームのリタイアを意味していた。しかし、悪コンディションの中痛みを抱えて走るのは、周囲により深い迷惑をかける可能性が高いので、ここで正直に言うのがこの状況では最もまともな選択肢だった。こういうのは誰にでも起こりうることだから仕方ない、と言ってくれた。
興津駅は目と鼻の先だったが、間の悪いことに東海道線が運転見合わせだったので、静岡まで頑張って20km走って新幹線で帰ることにした。この時18時。途中、夕飯を食べたりして、21時41分のひかりに乗って帰った。東京駅経由で、23時半には家に着けた。てんやわんやの1日が(不本意ながら)終わった。
10月18日(日)
未明に娘が咳込む音で目が覚めた。鼻水が詰まりすぎて咳き込んでいたようだったので、電動鼻吸い機で吸い取ろうとしたら猛抵抗。どさくさに紛れておとうさんだいきらい!と言われたが、本人もあれはあまりにもアレだとおもったらしく、朝起きたら謝りに来てくれた。
この日は全員疲れていたのでのんびりと過ごした。僕が家を開けている間、妻と娘も泊まりがけで遊びに行っていて、その話を聞いたり、写真を見せてもらったりしていた。朝起きた時は膝があまり曲がらないくらいに痛んでいたが、のんびり過ごすうちに痛みが引いてきた。しかし、ここから一週間は我慢。
みんな疲れてるから、ってことでまた焼肉の食べ放題に行った。「食べ放題行くより、同じ値段でちゃんとしたもの食べた方が満足度高くない?」とか言ってた自分はもういない。ここには思考放棄という名の贅沢があり、手触りが確かな、ある種の正義がある。
より長く走るための原資か、娘のおやつ代として使わせていただきます。