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6年放置したギターをまた弾き始めてみた

先週ふと思い立って、クローゼットの肥やしとなっていたエレキギターを引っ張り出してみた。

かっこいいギターの画像
かっこいい…

Fender Stratocaster American Vintage 57 Reissue。大学4年生の時、就活が終わった記念にローンで買った。それまで使っていた中古の中古の中古くらいの、1985年製Epiphone Rivieraからの乗り換えだった。

そんな時期に入手したので、このギターを弾いたのは主に社会人になってからだったが、それでもいろいろな景色を見せてくれた。中でも印象的だったのは、学生時代の友人と社会人になってから組んだバンドだった。

そのバンドは5年ちょっと続いたが、メンバーの家庭の事情で2016年の5月に解散した。解散ライブは江古田マーキーだった。正直バンドはもうめんどくさいなと思っていた矢先のことだったので、解散を歓迎した気もする。そこから娘が生まれてギターどころではなくなり、それっきり約6年の月日が経った。(自転車どころではあったのにね)

しかし6年も弾いていないと、頭の中からフレーズというフレーズがすっぽりと抜けていて、本当に何も弾けなくなっていてびっくりした。手癖と言われて色んな人に指摘をされたあのフレーズも、耳にかすかに音が残ってはいるものの、音が指とリンクせず、今となってはどうやって弾いていたのかもさっぱりわからない。

仕方がないから、かろうじて手が覚えていたCメジャースケールとFブルーススケールをいくつかのポジションで上がったり下がったりする。ドレミファソラシドドシラソファミレドドレミファソラシパチッドドシラプチッソブブッファミレド…

うん。。想像はしていたけれどこれはつまらない。しかも運指が完全に鈍っていて、そもそも弾けていない。右手も左手もダメダメ。ひどい。しかし長きにわたる眠りから(意欲が)目覚めようとしているのを止めたくない。このあたりでやはり曲を弾かねばと思い至る。

ここはまず、今まで弾いてきて楽しかったやつを弾こうと思い、かつてバンドでやった曲の中で印象深かったものを選んだ。

コピーをやるにもあまりゴリゴリのコピーをしないバンドだったが、ゲストボーカルに入ってくれた大学時代の後輩女子が出してきたこの曲はどうやっても原曲より気持ち良く演奏できなかったので、しっかりビタビタにコピーした。作曲とギターボーカルを担当していた才能豊かなバンドリーダーは3フィンガーができなかったので、僕がアコギパートをやった。ライブ途中の持ち替えが面倒だから冒頭の写真のギターで。ストラトもフロントにしてトーンをある程度絞ると、3フィンガーにぴったりな甘い甘い音がする。

静かなライブハウスのステージ上手、印象的なイントロの開始とともにおもむろに当たるスポットライト、軽いアイコンタクトを合図に5小節目から後輩の柔らかいハスキーボイスが重なり、ボーカルの息遣いに合わせてトーンは柔くあたたかく…みたいなことをやっていた時期が私にもありました。確かに「ゲロ甘」なシーンではあるけれど、それでも高校生の時にハイスタのカバー(BPM224!)をやっていた時と同じくらいの「音楽をやっているな」感を味わえていた。

そんなキラキラの思い出があったので、復活一発目にまたやってみたいなと思ってしまった、エレキだけど3フィンガーのアルペジオ…。やりたいと思ってしまったのは仕方ないので、全力で楽譜を探したらMacBookにまだ残っていた。楽譜は読めなくなっていたが、TAB譜はまだ読めた。

しかし歳月は残酷で、もう手が音を覚えていないので全く先に進めない。どんどん痛くなる指先、これまで意識もしなかった箇所が疲れてくる。ブランクのつらさを知る。

それでも、突然降って沸いた謎の情熱は僕の財布の中身を瞬時に動かし、弾き癖をつけるべくスタンドをポチらせた。本棚に入るくらいに小さく畳める優れものだ。

かっこいいギターがスタンドに立っている画像
スタンドに立たせてもカッコいい…


机の後ろにギターを立たせて強制的に目に触れるようにすることで、手に取る機会を増やそうという寸法だ。古来ギタリストは、B-MATのTをこうやって稼いできた。

1週間が経った。

あれから仕事の合間や夜寝る前とかにボロボロ弾いたりしている。多少ミスりながらも通しで弾けるようになった。仕事の合間にギターを弾くって我ながらすごいなと思いつつ、短い時間に物理的に場所を変えて全く違う刺激を脳と体に入れるのはかなりイケてる体験だった。なんでこれ今までやらなかったんだろうというくらい、頭がすっきりするし、ギターも楽しい。指先が硬くなってきたので、ミスも減ってきた。

かつてストラトを買った時「このギターを売るときはギターをやめるときだ」と決意した。弾かない6年の間、全く触れられていないギターを目にしてはその決意に縛られてる自分を意識したものだが、しばらく離れてまた感じられる楽しさがあることがわかった。今にして思えば、やはり売らなくてよかった。

次は何の曲を弾こうかな、と自然に感じられているので、突然変異的に勃発した謎のモチベーションはしばらく熱を帯びていてくれそうだ。

より長く走るための原資か、娘のおやつ代として使わせていただきます。