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もし僕に子どもがいなかったとして

もし子どもを持たなかったら、自分の行動様式は今とどれくらい違っていただろうかと、たまに考える。

まとまった時間を確保してやりたいことは腐るほどある。そもそも僕は自転車という時間のかかる趣味を持っているし、本だって読みたいし、未来のための勉強だってしたい。時宜がよければ旅行だっていきたいし、楽器だってもう一回やってみたいかもしれない。妻と連れ立ってライブや映画だっていきたいかもしれない。

しかし毎回結論は同じだ。子どもがいようがいまいが、きっと大して変わらなかっただろう。自転車の乗り方が変わるような気はしないし、必要に迫られない限り別に勉強しないだろうし、海外旅行はそんなに好きじゃなかっただろうし、楽器だってたぶん2016年にやめたままだ。妻とはエンタメの趣味がほとんど合わないので、おそらく単独行動だったはずだ。

元来僕はやりたいことしかしたくない人間なので、別に時間があるからといってその時間が丸々有意義な活動に転化されるわけがない。だから自分の子どもがあるなしと、僕のI/Oの量と質はほとんど関係なかっただろうなと思う。もうその人生を生きていないので比べられるものではないのだけど。

逆に子どもがいるからこそ、彩りが鮮やかになっている側面もある。子どもの面倒を見なければいけない状況下でめくる技術書3ページのワクワク感や、段取りとネゴを丁寧に積んで出かけるロングライドの時間の尊さ、子どもが寝た後に取り寄せたビールを妻と飲む時間のぜいたくさ。

完全に子どもをダシにしている感が否めないが、大前提として子どもを一番に考えているので多少は許してほしい。制限された状況において少しでも自分の時間を自覚的に生きなくては、いつか心が死んでしまう。僕なりのサステナビリティだ。

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去年参加させていただいた同人誌のことを思い出して今週のネタとした。あのとき、こんなプロでもない僕が書き手として本当に大事にされてたんだなと思う。もう何回も書いているが、いい人に誘われた。

正直に告白すると、手元に届いた後数ヶ月は錚々たるメンバーの圧に押されて自分の文章をまともに正視できなかったが、さっき読んだらまあ普通に読めた。直したいところこそ軽く30ヶ所以上あるが、言いたいことはきちんと言い切れている。

あの文章では極端な話、お前の人生を生きろと言いたかった。尊厳というか、中島みゆき風にいえば「お前のオール」というか、それを強引に奪ってくる状況に対して主導権を掴み続ける握力をしっかり持とうぜと。頭を冷やせ。正気を保て。お前の言葉がお前を生かすのだ(突然引用されるボブ・マーリィ御大)。

ただそれは「握力」であり、一種の筋力である以上ずっと発揮できるものではないので、前腕がボロボロになってグーパーすらままならなくなる時があるだろう。そんな前腕がボロボロになった人の拠り所自体は、普通にあるべきものだと思う。思っていた。思っている。

触れたからには恩に報いるためにも宣伝しなくてはならない。そんな文章が載った同人誌はこちら。どうか10冊買ってください。


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ヒガシ
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