やってみたら意外とよいものと、教養までの距離
このあいだ、生まれて初めて「お月見」というものをした。
娘が保育園でお月見のおはなしを聞いてきて、わたしもぜったいにおつきみをすると仰せになったので、100均で造花のススキを2本買ってきて飾り、生協で買ったお団子を解凍して(娘が手ずから)並べ、月が一番よく見える娘の部屋のベランダにスヌーピーのレジャーシートを敷いて敢行した。
この日は満月。十五夜と満月が重なるのはかなり珍しいという話だったが、曇りがち。しかし、空を眺めて数十秒もすると完全無欠の満月が顔を出して、強烈な月光を我が家のベランダに浴びせた。
娘は大はしゃぎで誕生日プレゼントにもらった子供用デジカメのシャッターを切りまくり(写真は当然ブレブレなんだけど、シャッターを切った事実が彼女には大事)、大人は月光の明るさや月のクレーターが思ったより鮮明に見える様、時折かかる雲の朧の「あわい」を見てしみじみしたりしていた。
言葉少なに話したり団子を食べながら月と向かい合う時間はなかなか豊かだった。普段月が出ていてもあー満月だなーくらいにしか思わないが、その明るさや大きさを改めて感じるこの行事はやってみないとわからない魅力があると思った。もっとも、翌日に迫るとある大きな仕事により少し追い詰められていたメンタルが、月を余計綺麗に見せていたのかもしれないけど。
もう一つ、お月見とは全然関係ないのだけど、最近初めてやったことがある。
ムービング・モチベーターズというゲームをご存知だろうか。
ゲームというか、主に仕事におけるチームビルディングを助けてくれるツールなんだけど、これをチームの同僚3人でやってみた(正確には、ファシリテーションしてくれた方を入れて4人)。ゲームのルールはざっくり、10個の価値観(受容とか秩序とか好奇心とか、そういうのが10個ある)のうち、自分にとって大事なものを3〜4個選んで、なんでそれを選んだのかをプレゼンしたり、他の人が質問して深掘りしていく、という感じだ。
元々はチームの関係性を深化させたくて(=他の人のことをもっと知りたくて)ファシリをお願いしたものだったのだけど、自分自身に対する発見の方が多くてびっくりした。
僕はあっという間に3つを選んでしまったのだけど、実際にそれを説明するうちに、ものすごく違和感を覚えてしまった。もちろん自分が思っていることではあったんだけど、綺麗にパッケージされてしまっているというか。いくらなんでもまとまりがよすぎて、本当に自分はそんなにロジカルな存在なんだっけと喋る端から疑問が生じ、最後の方はなんかうまく話せず、ゴリっと説明を終わらせた記憶がある。
たぶん、そのとき僕がやっていたゲームはこれに近かった。もしくは大喜利。
自分の中でのシナリオをぱっと固めて、それに合うようなストーリーを考えて発表していたのだ。これは自分の殻から出ずに、自分ではなくてその殻の説明をしていたということでもある。その場にいるみんなは、その殻を形作る価値観を知りたかったろうにね。他のメンバーが真摯に自分の言葉で語るのを聞きながら、会が終わる頃にはだんだん申し訳なく思うようにすらなっていた。それでも僕にとってはそんな場で取り繕ってしまう癖のある僕自身を認識できたのが大きな収穫だった。たぶん、そういうこともこのゲームの射程に入っているのだろう。会社のみんながやってよかったと言っているのから想像するよりもずっと深く、意義が沁みた。
僕は自分のことが知りたいので、その日の夜寝る前、一人でもう一回やってみた。テーマ「人生」で僕が大事にしている価値観は「自由」「秩序」「権力」でした。
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自分が面白いと思うかは別として、誰かがいいと言っているものやずーっと長きにわたって残ってきた風習や祭りにあえて乗ってみるタイプの「よい習慣」があると思う。
みんながそれの何をそんなに面白いと思ってるのか、いいと思って続けているのか、それを実際に体験して少し野暮だけど言語化までしてみる。その言語化した結果を他者に優しくぶつけて対話してみる。その果実をもしかしたら教養と呼ぶのかも知れない。
僕はものを知るのが好きなタチではあるが、果たして教養があるかはわからない。それでも、人がいいものを実際に体験してそれの何がいいのかを受け入れられる感受性だけはまずとりあえず持っていたい。やや苦手な自覚はあるものの。
より長く走るための原資か、娘のおやつ代として使わせていただきます。