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友人の命日に考えたこと
中高の同級生が数年前に亡くなった。
正直、すごく親しいわけでもなかったし、中高一貫の6年間で会話した回数もあまり多くはなかったと思う。
卒業後も交流は無く、知らぬ間に、とうい感じだった。
なので、どう受け止めて良いかは今もぼんやりとしている。
ただ、一つよく覚えているのが、高校の美術の時間に
僕が描いた絵を「欲しい」と言って、もらってくれたこと。
趣味的に描いているもので、大した絵ではないのだけど、なんだか嬉しかったので、夏休みに美術室を開けてもらって、少し気合を入れて描き上げたと記憶している。
とっくに捨ててるかもしれないし、それで良いのだけど、自分が無心につくったものを誰かに受け取ってもらえて、喜んでもらえるというのは、なかなか有難いことで、今もそのことには感謝している。
就職して、技術者になってからも、「なにかをつくる」ということは続けてきたが、「つくったものが相手に届き、素直に喜んでもらえる」ことなんて、さほど多くはないのだから(これは僕の能力・努力不足だが)。
そういった話もできないまま相手は去ってしまったので、伝わっていない感謝ではある。彼の辛い時期に、そんなささいな話を伝えたとしても、さほど救いにはならなかっただろうな、とも思う。
でも、僕にとってはけっこう大事な思い出で、彼がいてくれたことがとても良いことなのは、他界してようが何だろうが、動かない事実である。
こういう「伝わっていない、ささやかな感謝」は結構それぞれの人が色んな人に対して、持っているんじゃないだろうか。だから、自分の人生に何ら価値を感じられない状態になったとしても、視点を変えれば、意外とそうでもない、ということは、多いんじゃないかという気がする。
だからまあ、すっかり疎遠になった人とか、気まずい関係になった人とか、色々いるけど、恨んでる人は一人もいないし、してくれたことには感謝している。
みんな生きててくれたらよいなと思うし、亡くなった人にも感謝し続けようと思っている。