人におまかせする
姪っ子がなんでも自分でやりたがるようになってきた。
小さな体が好奇心に溢れていて、そのエネルギーの強さに驚かされる。
微笑ましくて、可愛くて、見ていて思わず口角が上がっていくのがわかる。
そんな彼女とは対照的に、
30歳を過ぎたわたしはどんどんやらないことを増やしている。
それはここ2、3年の間で
「なんでもひと通り出来るようになろうとするのはしんどい」と、
わたしの心境が変化してきたからだ。
ひと通りって物事の程度が普通であること、
過不足がないことをいうらしい。
普通とか過不足とか、結局どこにその基準があるかわからないじゃないか。
だったら「好き嫌い」「得意不得意」もしくは「苦か苦じゃないか」を考えてみるほうが
無理がなくていいんじゃないかと思ったのだ。
例えば、わたしはベッドメイキングと掃除機がけを夫にまかせている。
それは学生時代に寮生活だった夫のベッドメイキングがすばらしいからだ。
わたしは正直得意ではないのでとてもありがたいし、
掃除機がけは彼の方が好きそうだからという理由で彼におまかせして、
わたしは水回りの掃除を担当している。
水回りの掃除は夫はあまり好きではないというのと、
わたしは昔から実家でもお風呂掃除をしていたので、それが苦じゃないからだ。
ほかにも水や日用品のストックのチェックと補充は夫で、
書類整理はわたしというように、
なんとなく得意な方が、
もしくは苦じゃない方が自然とやるようになった。
このスタイルが出来上がって、お互いの心の負担が減ったと感じる。
ネットやsnsとの付き合い方もそうかもしれない。
YoutubeやInstagramの旅行や食事やファッションの動画や投稿も、
TikTokのダンス動画も、
それぞれ得意でそれが好きな人たちがやってくれるから、その人たちにおまかせする。
次々と新しいものや他人の何かが目に入るようになったとしても、
誰かにおまかせできるから、
わたしはやらなくてもいい。
そのかわり、
わたしはわたしが得意なことや好きなこと、
やっていて苦じゃないことをやるだけだ。
聞くことや調べたりすることが好きで得意だから、わたしはそうゆう仕事をしている。
「誰かにおまかせしている」と思えると、
余計なことを考えなくて済んだり、
自分のやっていることに集中できるような気がする。
それは、
無音でまわりを遮断してゾーンに入って集中する感覚とは違って、
ちょうどいい環境音の聞こえるカフェにいるような感覚に近い。
その中にいると、
誰かしらそれぞれになにかをしていて、
だからこそ自分は自分のそれだけで十分だなと、満たされた気持ちになる。
不思議と他の誰かのことを
なんとなく放っておけるようになるという感覚でもある。
今日もわたしがおまかせしている誰かが、
平和のことを考えたり、
病気を治療したり、
建物を建てたり、
野菜をつくったりしてくれていることに、
感謝の気持ちでいっぱいだ。
夫のベッドメイキングも相変わらずピシッとしていて惚れ惚れしてしまう。
もしこれを読んでくれる人がいたら、
あなたもきっとわたしが何かを
「おまかせしている誰か」なのだろう。
いつもお世話になってます。
どうもありがとう。