「二月を好きになれなくなって」イリーナ・ビルィク『雪』:ロシアのウクライナ軍事侵攻がポピュラーカルチャーに落とした影
※2024年7月5日のツイートを整理したものです。
これは、私が好きなロシア語の歌で、Снегという曲の一節です。この曲は、ウクライナ出身のイリナ・ビルィクИрина Билыкさんがオリジナルで2003年に発表したものです。その後フィリップ・キルコーロフФиллип Киркоровさんが2010年にカヴァーしました。私はキルコーロフさんのカヴァーで初めて知りました。寒い冬、雪の中のお別れをうたう悲しげな曲で、次のフレーズの繰り返しなんかもとってもきれいです。
原曲 イリナ・ビルィクИрина Билык
カヴァー フィリップ・キルコーロフФиллип Киркоров
冒頭の歌詞にある「二月を好きでいられなくなった」、がこのnoteの本題です。この曲のイリーナさんのオリジナルは2003年だし、キルコーロフさんのカヴァーも2010年ですので、当然ながら、発表段階ではただ冬のお別れの歌でした。たしか2014年のソチ冬季オリンピックで、ロシアのアイスダンスのカップルがエキシビジョンでキルコーロフとナスチャ・ぺトリックНастя Петрикのカヴァーを使用していました。ロシア語の曲を聴いたり訳したりして勉強していたときにこの曲を知っていて、アイスダンスのエキシビジョンに見入ったことをよく覚えています。
この歌の意味を変えてしまったのが、2022年2月24日のロシア軍によるウクライナ侵攻でした。2014年のクリミア半島併合など、ロシア・ウクライナの間の問題はそれまでも起こっていましたが、この2022年2月24日は、それこそ「もう誰も、何も戻ってこない」日になってしまいました。不可逆ともいえるようなロシアとウクライナの間の裂け目は、今日2024年になってもなお、元に戻る気配はないようです。
ロシアによるウクライナ侵攻を境に、この曲の解釈が大きく変わってしまったことを、ここでは起きてしまったことの素描として記しておきます。この侵攻と以降終わることのない戦争を受けて、この曲が指した二月は、侵攻と戦争がもたらした破壊の記憶となってしまいました。そして、命が奪われ、町々が破壊され、戦争によって生まれた断絶によって人の関係も断ち切られた現状は、「もう誰も、何も戻ってこない」と結びついてしまいました。その様子は、youtubeの、イリーナさんのオリジナルのコメント欄でわかります。イリーナさんの動画のコメント欄では、この二月に戦争の喪失や悲しみを結びつけるものが並ぶようになりました。
この侵攻は、まさに「二月を好きでいられなくなった」2月となったのでした。この戦争が始まった後、2023年12月22日、彼女はこの曲のウクライナ語バージョンを発表しています。
その後、カヴァーをしたキルコーロフさんが2024年2月13日、ロシア軍の負傷兵のためにドネツクのゴルロフカを訪れ、コンサートを行いました。
https://novayagazeta.eu/articles/2024/02/29/strazy-na-kostiume-putin-na-perstne
その翌日2024年2月14日、イリーナさんは「あなたのすぐそばで血に沈んだ『雪』”Снег” в крови у твоих дверей」というタイトルのビデオクリップで、この侵攻がウクライナにもたらした破壊を映像で表し、「2月を好きでいられなくなって」、「誰も戻ってこな」くなってしまったことを表しています。その中には、キルコーロフさんがこの破壊をもたらしたロシア軍を支援し英雄と呼んだことの批判もあります。「あなたはこの歌を何年歌ってきたの?!なのにあなたはこの歌の本質だけはわからなかった。」と言っている部分は非常に重いです。
”Снег” в крови у твоих дверей
※このビデオクリップ、戦場の様子や戦火の後がはっきりと映っています。この点ご注意の上でご覧になるかご判断ください。(訳の引用元なのでリンクを貼っています。)
現状、このような関係の断裂の中にある曲ですが、その解釈が実際にどう変わってしまったか、翻訳して少しコメントしてみます。
以下歌詞。
[A]
どうして雪がこんなに残酷なの
あなたの足跡を残して
どうしてくるくる走り回るの
そしてあなたは私から駆け去っていくの?
朝が来るまで眠れなくて
溶けた雪は水になって
あなたは一つだけ知っているはず
私があなたをずっと好きだって
[B]
どうして星の声は
薄闇にかすかに聞こえるの
風は涙の雨を連れてきた
涙だけは私には要らないのに
遠くを見ることができなくなって
百まで数えられなくなって、
二月を好きになれなくった
二月があなたを永遠に連れ去った
[C]
お別れするよ、嘘があったら
眠るよ、夜闇がきたら
体中に震えがでたら
おかしくなってもしまうでしょう
もし行きたいなら、行って
もし忘れたいなら、忘れて
ただ知っていて、道の終わりに
何も帰ってこないって
もし行きたいなら、行って
もし忘れたいなら、忘れて
ただ知っていて、道の終わりに
誰ももう戻ってこないって
誰ももう戻ってこないって
2022年2月24日のロシア軍による侵攻以前は、2月あたりの雪降る寒い季節の離別の感情を歌ったものとして解釈していました。[A]だと雪に足跡が残って好きな人が去っていく様子があって、[B]、[C]でその悲しみと動揺が描かれているような。心の揺れがそれこそ、先が見えなくなって、ゆっくり数えられなくなって、その季節を嫌いになってしまうような。悲しげな曲調でとっても感情が入ってくる歌詞だと私は思っています。
でも、これを2022年2月24日以降にもたらされた破壊や、ウクライナの喪失を含意すると、まったく違って聴こえることになります。とくに[B]のコーラス部分ではっきりとしています。終わらない戦争と破壊によって「遠くを見れなくなって」、戦火の中、喪失の中「百まで数えられなくなって」、そうした破壊や喪失のきっかけとなった「二月を好きでいられなくなった」。「二月が永遠にあなたを連れ去った」んだ、と。別離の理由が2022年2月24日に始まった一連の破壊と結びついてしまったのでした。そうして、この曲の最後の「もう誰も、何も戻ってこない」は侵攻によって引き起こされた喪失を思い起こさせるようになってしまいました。
軍事侵攻がロシアとウクライナの関係を不可逆に思えてしまう状況にしてしまったわけですが、その影は、やっぱりというか、ポピュラーカルチャーな音楽にも落ちていました。youtubeをくるくるみていると、イリーナさんとキルコーロフさんが二人で演奏し歌っている映像なんかもありました(公式で出てるものじゃないのでリンクは貼りません。)それが2024年2月には不可逆なことになったことは、この曲が好きな私にとってとても悲しいことなのです。ビデオクリップの説明のため2024年2月のことに触れましたが、このnoteではあくまで歌詞の解釈だけに焦点を当てたいと思って書いていました。本当に本当に、このような帰結をもたらす戦争を早く止めてほしい、できるのであればロシアがその善性で撤退し停戦してほしい、どちらも喪失と傷跡しか生まない戦争を止めてほしい、という思いです。好きでいられなくなる季節が増えて、戻らなくなってしまうものが増えてしまうのを、早く止めて、という思いで。