サンダーボルトファンタジーがおれの心を若返らせた
サンダーボルトファンタジーというテレビ人形劇がある。数年前から友人の一人が猛烈にこの作品を推し始めたのだが、おれはいくらすごいといっても人形劇には限界があるだろうと高を括ってスルーしてきた。
だがこの前たまたま気が向いてこの作品を実際に見てみたところ、その認識が完全に誤りだったことを思い知ったので、同じような理由でこの作品をスルーしている奴らにこの作品の魅力を伝えたくなってこの文章を書いている。
物語ははまず一組の男女がならず者たちに追われながら森を駆け抜けるだけのシーンから始まる。この作品はここですでにおれの想像を超えてきた。
多数の人形が相当なスピードで駆け回り飛び回っているのだが、人形に操作棒や紐の類は付いておらず、操作者の姿もいっさい見えない。予備知識のないおれにはこれが人の手で操られているとはとうてい思えなかった。
人形の出来も相当なもので、きらびやかな衣服をまとった男女は高い身分を持っているであろうことと、ならず者たちは地味ながら統一された衣服を着ていてその辺の野盗とは違う大きな組織に属していることがうかがい知れた。
やがて男女はならず者に追いつかれ応戦するのだが、戦闘シーンはさらにすさまじい。おれの目は節穴ではないので、このシーンにはCGがふんだんに使われていることはすぐに分かった。だがどこまでが実在の人形で、どこからがCGなのかということはさっぱり分からなかった。
光り輝く剣の軌跡はCGだろう。だが剣自体はどうか?男女もならず者たちもなめらかな動きで剣を振り回しており、その動きが人の手によるものだとは思えないが、剣の質感はかなり確かなもので、人形と剣の間に現実とCGの境目があるようには見えない。
何らかの術によって生成され飛び回る光の剣(Fateのアーチャーがよくやるやつに似ている)もCGだろう。だがその光の剣が巻き起こす現象はどうか?爆風によって削られた地面や草木、剣に貫かれ倒れてゆくモブならず者たちはCGであるとは思えず、やはり現実とCGの境目がわからない。
このどこまでが現実で、どこからがCGかがわからないという感覚は、完全におれの想像の及ばない域に達している人形の操作技術によって起こされているが、それはまるで幼き日にはじめて特撮番組を見たかのような衝撃となり、おれはもう画面から目を離せなくなっていた。
男は光の剣によってならず者たちを退けるかに見えたが、突如なんかの字幕とともに天から舞い降りた増援によって形勢が悪くなり、妹(男女は兄妹であることが戦いの合間の会話によってわかる)は何とか逃がすことはできたものの、戦いに敗れ…爆発四散する。
おれは普段からニンジャスレイヤーをよく読んでいるから、登場人物が死ぬとともに爆発四散する現象自体には何の違和感も感じない。だが実写寄りの映像における爆発シーンの持つパワーは特別なもので、それは確かな画力を持って描かれたコミックや面白FLASHのようなアニメイシヨンとは別のベクトルのパワーであり、おれの脳は完全にK.O.されてしまった。
こうしておれはサンダーボルトファンタジーの世界に首根っこをつかまれて連行されてしまったのだ。そのとき、たかだか数十年の経験によって見もしない作品を推し量る中年のうらなり野郎のようになっていたおれの心は、
まだ見ぬ世界に胸躍らせる少年のそれに立ち戻っていたのだ。
ここまでが、サンダーボルトファンタジーの第一期・第一話の、最初の7分弱で起きたことである。