無欲なやつでいたいのだ(2023年4月14日の日記)
うわー!!!!!
お金のことを考えたくないッ!!!!!
お金のことを考えるのがとても苦手である。
全般的に。給料がいくらで税金がいくらとか、どこに預けると利息がどうとか、保険がどうとか、投資がどうとか、考えたくないッ!!!
たいていのことに興味があるのだが、金に関して、それも自分の金に関してどうしてこうも興味が湧かないのかが不思議だ。興味が無い、というのを通り越して、かなり強い忌避感がある。嫌だ。
私が浪費家だったらとても大変なことになりどこかのタイミングで向き合わざるを得なくなったのかもしれないが、運のいいことになのか残念なことにというか、そこまでお金に困っていないので、ぶっちゃけ私の認識としては何も不都合がない。考えることが非常にストレスなだけで。
ただ大人になるとそういうわけにもいかないらしくて、本当に嫌。
何故なんだ……
この嫌さをほぐしてみると、まず「困ったという感情が一切ないのに苦労しなければならない」というのがあるかもしれない。
私は想像力がないので、もらえるはずだったものがもらえない、ということを悔やむことができない。奪われるのは嫌だが、もらえるのに損してるよ……と言われてもピンと来ない。お金に関することはたいていの人が、損をしたくないからいろんなことを考えて行動するのではなかろうか。私は損をするという感覚がいまいち理解できないので、よくわからないまま面倒なことをさせられて嫌だな、と感じるのではなかろうか。
もうひとつは、「そもそもお金の話をすることに抵抗感がある」というのもあるかもしれない。なんとなーく自分の中に、お金にこだわるのは卑しいことである、という意識があるのではないか。金というものには人の欲望悲しみ怨念がこびりついていると猿原教授も言っていた。全面的に賛成である(火傷はしないけど)。根っこにあんまりそういう話題について話したくないという意識があるかもしれない。
あとは、「自分の意志を表に出したくない」というものも影響している気がする。
匿名ラジオのこの回で、回転寿司で板前さんに注文ができないという話をしている。「自分のこれが食べたいという気持ちを他人に開示するのが嫌だ」という話をしていて、それはすごくわかる。何が欲しいとか、知られたくなくないですか?自分の思っていることを、誰かに察されることが嫌すぎる。自分から言うのはコントロールできるから良い。というか、私がnoteやらTwitterやらで四六時中喋っているのは、自分で調整してから人に与える情報の割合をなるべく多くしようとしているみたいなところがある。あっこの人はこっちに歩いていきたいんだな、ということすら知られたくないので挙動不審な歩き方になり人と衝突している。それが私だ。
お金の話、というのは意志の話である。お金を貯めたい、というのもかなり意志。行政の意志も予算規模から見えるものです。お金のことを考えると、何かを望まざるを得ない。そういう、私はこうしたい、これがしたい、というのを誰かに察されるのが嫌なので、そういう意志決定をしたくないのかもしれない。話したくない。何も決めたくない。
そんな感じかなぁ。あと単純に算数ができないので。数字って怖い。
でも大人になったんだからやれと言われたらそりゃそうなんですが……ぐうの音も出ないが……
助けてくれーーーー!!!!!
今日はここまで。ありがとうございました。