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好奇心のベクトル
掃除や洗濯をしながら、自分に興味を持って生きる、というのは難しいことだな、と考えた。
私は自分にあまり興味がないので、例えばオシャレだとか、自分の生活をよりよく保つ工夫だとか、そういうことにあまり関心がない。関心がないので、適切な水準に自分を保つための行動、身だしなみを整えたり服を整えたりとか、そういうことに人よりちょっと精神的コストがかかる。
そもそも人間には自分に興味津々な人と、そうでない人がいるのだろう。世の中はたぶん自分に興味がある人の割合が多いので、それを前提とした、興味がある人ナイズドされたシステムができあがっている。
ただ、面倒なのは自分に興味津々な人は、多くが他人にも興味津々な人であるということだ。私は自分に興味がないが、他人にも興味がないので、他人がどんな格好をしていようがどんな生活をしていようがそれほど気にしない。しかし、自分のオシャレにだけ興味がある人というのは少ないだろう。そういうひとはたいてい他人のオシャレや生き方などにも興味津々なのだ。
私は人間より、人間が生み出したものか、もしくは人間が関わっていない自然とか、そういうものの方に興味が行きがちだ。以前親に、「貴方は人類には興味があるけれど個々の人間には興味がないんでしょ」という主旨のことを言われて、よくご存じだなと納得した。さすが、我が子の生態を観察し続けていただけのことはある。
自分に意識的に興味を向けようとすると、人以外のコンテンツに興味を向けるときのお作法を自分に向けようとするので、なんとなく、いわゆる「自意識過剰」気味というか、すわりの悪い感じになる気がする。
自分の人生に正しく関心を向けられるようになりたい。
もしくは向けなくてもいいシステムに社会ごとシフトしてほしい。自分の肉体なんて気にしなくてもふわふわ生きていける世界になれ。無理かな。
今日はここまで。ありがとうございました。