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日記に書くべき事とは
「衣替えの為にタンスを掃除していると、懐かしいものが出てきました」
母からの手紙にはそう書かれていた。荷物を開けると、先日こちらへ送って貰うよう頼んだ数冊の本のほかに、A4サイズの紙の束が入っている。
数枚めくってみれば、上の方に汚い字で日付と曜日が書いてあり、その下には何も記載がないほぼ白紙の状態である。少し考えて、これは中学生の頃に私が書いた一行日記である事を思い出した。日付と曜日の組み合わせからすると、中学二年生の夏休みの課題として出されていたものらしいが、日付だけ書いて内容にほとんど手を付けなかった挙句、提出すらしなかったらしい。先週の金曜日が期限であった経費精算を未だ申請していない自分を省みれば、当時から何も成長していない事が分かる。
他人の過去の生活振りを、文章で読むのはなかなか面白い。私の母などここ十年間一日も欠かさず日記を書いているが、適当にページをめくれば「体重が少し増えた」「ドラマを見て泣いた」「旦那のいびきがうるさくて眠れない」というワードが多用されている事が分かる。
つまり、父のいびきで寝れない母が暇つぶしに録画していたドラマを見て、夜更かしをした結果生活のリズムが狂い、体重が増えてしまったと考える事も出来るのである。一種の連想ゲームのようだ。
またある時は「化粧のノリが良い」「〇〇と映画に行った」など、聞いた事もない男性の名前が出てきてゾッとする事もある。
自分の彼女や妻がもし日記を書いたとしても、読まない方が賢明だという一つの教訓である。
では中学生の私が書いた一行日記はどうだろう。内容がないページが多いので書ける事も少ないが、例えば七月に絞って見てみると
「自転車で伊丹まで行った。疲れた」
「数学の課題を失くしました。すみません」
という具合である。私の実家から伊丹市までは十キロもない筈なので、中学生の体力であれば「全然平気でした」くらいの根性は見せて欲しいものである。また、課題を失くしたというのは果たして日記といえるのだろうか。父のいびきがうるさい、というのもあった。
これを読む限りでは、面白いというよりも、情けない気持ちが先に出てきてしまうので、やはり自分の過去はあまり詮索しない方が良いみたいだ。勿論、人によるところは大きいのだろうけども。
そんな中、八月中旬くらいの日記で「明石港(発)⇒岩屋港(行)のフェリーに乗った。潮の香りが想像よりきつい」という一文を見つけた。岩屋港というのが何処かを調べると、淡路島にある港だった。数人の友人と淡路島まで行った事はあるが、それがこの時期であったかどうかはさっぱり記憶にない。
確かあれは、フェリーに乗ってみよう、という友人の一言で始まった企画だった。仲間内のだれも船旅の経験がなく、さらに明石から淡路島という我々が住む場所からしてみれば、例え一泊するとしても割と手軽な移動だったので、皆で何も考えずに話を進めた。従って、その旅行は(旅行と言えるのかさえ怪しいが)観光の予定や食事、宿泊の場所さえ満足に計画されない上で実行されたのだ。目的としては「フェリーに乗る」というもので、その達成が約束されてさえいれば、皆どうでも良かったのかもしれない。明石港⇒岩屋港間の乗船時間は僅か二十分くらいだったので、そんな短時間で満足いく船旅が出来るのだろうかと心配したものだが、それは何の問題もなかった。船内の案内図を確認しても特にめぼしい物はなかったし、そんな肩透かし感以上に、慣れない揺れからくる船酔いを我慢する事で我々は必死だった。
岩屋港の付近には潮で朽ちた観光センターがあるだけで、それ自体も数個の飲食店と小規模な土産屋で成り立っているような、面白みもなんともない場所だった。翌日の日記を読むと「観光センターに中華料理屋と海鮮食堂があった。餃子定食に惹かれて中華料理屋に入ったが、焼き餃子ではなく揚げ餃子が出てきた」とある。我々は二日いた内の全ての食事をその中華料理屋で取ったので、実際には淡路島に到着した当日も同じ店に入ったはずである。その後も読み進めていくと、一泊しかしていない旅行の内容が、一周間ほどに渡って日記として書いてある。これはもう水増し以外のなにものでもない。例えば三日目として書かれている「夜に浜辺で花火をした。神戸の灯りが近いようで遠い」というのは初日の晩の事であるし、五日目の「レンタサイクルでイングランドの丘まで行った」というのに至っては嘘である。折角なので、初日から最終日までの日記をならべてみた。
「明石港(発)⇒岩屋港(行)のフェリーに乗った。潮の香りが想像よりきつい」
「観光センターに中華料理屋と海鮮食堂があった。餃子定食に惹かれて中華料理屋に入ったが、焼き餃子ではなく揚げ餃子が出てきた」
「夜に浜辺で花火をした。神戸の灯りが近いようで遠い」
「K君が、途中で帰る事となった。岩屋港からその姿を見送る」
「レンタサイクルでイングランドの丘まで行った」
「さらば淡路島。機会があればまた行きたいと思う」
改めて読み返せば、最終日に向けてどんどん気力が失せているように感じる。実際の旅の内容としては、我々は岩屋港に到着した後、中華料理を食べて、付近を軽く歩いて小さな個人商店を見つける。店で花火を買い、晩飯に中華料理を食べて、浜辺で花火をした。勿論ホテルなどを予約している訳もないので、観光センター前の広場(それもかなり小さい)のベンチに寝転がり、潮風に当たりながら一泊した後、昼に中華料理を食べて各々の自宅へ帰ったのである。
という訳で、四日目の記述であるK君を見送った、という話も嘘であり、これはK君ともう一人が夜に喧嘩をした結果、怒ったK君が翌日の朝、勝手にフェリーで帰っていったという事実を基にして書いたでたらめである。
こうして自らの過去を纏めてみて、ここまで色々な出来事を鮮明に記憶している旅が他にあっただろうか、という疑問が生まれた。母の旅行好きにより、それまでも、それ以降も様々な場所へ赴いた私ではあるが、果たしてこの旅にそこまで大切な意味があったのだろうか。
思うに、重要なのは何をしたかという事ではなく、自分たちで何をしようと考えたか、という事なのではないだろうか。確かにこの旅は我々が初めて企画した遠出だったし、その内容があまりに酷いものだったとしても、余す所なく自分の良い思い出として残っている。
自らで考えて行動を起こす事に慣れてしまった今となっては、例え何をしたとしても、このように強烈な記憶には成り難いのではないか。
十四歳の頃に体験した、あの面白くもない旅のようには。
私たちを淡路島まで運んだ通称たこフェリーは、2010年11月にその役目を終えた。