月100万稼いだのに転職 ストレスで円形脱毛症【一流外資系企業転職への道のり】
現在42歳、海沿いの街に在住。
学歴なくても一流外資系企業に転職したジョンです。
今日もアクセスありがとう。
時は2003年。
24歳。
私には大好きな彼女がいた。
私はその時地元の横浜に住んでいた。
彼女は茨城。
週末に東京や横浜で遊んでいた。
私は彼女が好きで仕方なかったから彼女とずっと一緒にいたいと思っていた。
そんな彼女のどこに惹かれたのか?
容姿である。
見た目だ。
彼女は一緒に歩いていると周りの男性が振り返るような女性だった。
性格は強気で曲がったことが嫌いな真っ直ぐな人だった。
その当時、私は彼女に完全にのぼせあがっていたのである。
ベタ惚れである。
メロメロだ。
ただ、彼女に会える週末は良かったが、
平日はなんだかあまりいい毎日ではなかった。
2003年、私は自営業をしていた。
中国製や東南アジアの安いノベルティグッズやオモチャを販売し、月に50万円以上は自由に使える金があった。
月に100万円以上の時もあった。
しかし貯金なんてしなかった。
その分散財していた。
毎日のように飲み歩き。
後輩にもよく奢っていた。
そうしないといけないんだと思っていた。
今思うとただの変なプライドである。
角ばった四角い車が好きで中古の外車に乗っていた。
修理費もアホみたいにかかるし、
燃費悪すぎてガソリン垂れ流して走ってるようなもんだった。
今思うと無駄な金だった。
パチンコパチスロに毎日のように行ってた。
タバコも1日1箱から2箱吸っていた。
本当に本当に無駄な金だった。
健康にも悪すぎる。
そんな日々の中、
彼女が妊娠した
彼女は戸惑っていた。
もちろん私も驚いたが、
結婚しよう と言った
彼女も受け入れてくれ、結婚することになった。
そして私と彼女は賃貸マンションで一緒に暮らすことになった。
籍も入れ、夫婦となった。
ココからは彼女ではなく妻となる。
結婚式、指輪、新婚旅行、そういった結婚するカップルがやることを私達夫婦は一切やっていない。
妻自身が妊娠しているのでやりたがらなかったのだ。
ただ1番の理由は金がなかったことだ。
2人で暮らすにあたり、親からの支援もあったが、とにかく金が足りなかった。
その頃は自営業の仕事も軌道に乗っておらず月に20万円から30万円くらいの稼ぎだったので何とか日々生活するので精一杯だった。
それにも関わらずマンションの家賃は12万円くらいした。
過去の私に言いたい。
もっとよく考えろ!
そんな暮らしの中、とうとう出産となる。
帝王切開となったが、第一子が誕生した。
女の子だった。
この子をちゃんと育てないと!
そう強く誓った。
だが自営の仕事は相変わらずうまくいかず、下降線だった。
かなりキツい状況で、経費を支払うのでいっぱいで利益を取れなくなっていた。
このままだと赤字になって借金が膨れ上がってしまう。
先が見えない状況になっていた。
私はとうとう転職を決意した。
何とか借金を抱えることもなく、自営業の色々なことを整理することができた。
文章で書くと2行で終わってるが、実際のところ大変だ。
【はじめる】より【終わらす】ほうが大変なことは世の中には多い。
精神的な負担も大きい。
実際にこの期間に円形脱毛症になってしまった。
いつの間にかなっていた。
前髪の分け目付近。
こんな感じ↓
分け目をかえたり、
髪を伸ばしたりして誤魔化した。
元どおりになるのに半年くらいかかったと思う。
妻とも今後のことを話合った。
決定したこと、
・家賃12万円のこのマンションを出て5万円か6万円くらいで見つける。
・転職先は安定した給料で長く勤められそうな会社にする
・私の転職活動中は妻が水商売をして生活費を稼ぐ
妻は夜働き、私は家で赤ちゃんの面倒を見ていた。
妻は仕事柄酒を飲むので酔っ払って帰ってくることもあった。
自分が働いてないから妻に経済的に助けてもらって情けなくなる夜もあった。
家族のためにも早く仕事を見つけないと!!
昼間はハローワークに行ったり、転職情報誌やインターネット求人サイトをチェックしていた。
その頃は2004年、まだiPhoneもなかった時代だ。
転職活動に学歴は必要だ
音楽系専門学校を卒業したが、大した経歴もない。
給料など条件の良い企業の求人には必ず
大卒以上
とある。
よく、Fラン大学なんて、
とか
Fラン大学だから、
とかいう声を聞くが、
Fラン大学だろうと大学は大学だ。
大学に行っておけば良かった、、、。
大学に行ってない私は応募すら出来ないのである。
中々、ピンとくるものがない。
人とコミュニケーションとるのは苦にならないし、人当たりもいい方だと自覚していたので営業職で探そうと思った。
だが大手企業の営業職は必ずと言っていいほど、大卒以上なのだ。
そんな中、
誠実に車を売りませんか?
というキャッチコピーが目に留まる。
自動車営業か、、。
外車のディーラーの営業マンの募集だった。
学歴不問。
受けてみよう!
私は面接に行き、合格した。
こうして自動車の知識も全くない状態で外車の営業マンとなったのである。
給料は高くはないが、車を売ればインセンティブもつく。
贅沢しなければちゃんと生活できそうだ。
長く続けられそうという希望にもある程度マッチしている気がした。
25歳、
営業マンとして家族のために働くのである。
2007年にはまた転職するのだが。
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