L∞M RADIO ゲスト:銘苅 信吾さん【ロードオブ・ザ・デイゴ】
皆さんこんにちは💛
NC HIGAです💛
今回は、L∞Mradioのゲスト「銘苅 信吾(めかる しんご)さん」についてお伝えいたします。
L∞Mラジオ対談ゲスト
氏名:銘苅 信吾(めかる しんご)さん
・デイゴ ラグビー スクール 代表
[ プロコーチとしての活動 ]
・デイゴ ラグビースクール(代表)
・ARUKAS QUEEN KUMAGAYA(アシスタントコーチ)
・沖縄県立名護高等学校ラグビー部(外部コーチ)
・九州産業大学付属九州産業高校ラグビー部(スポットコーチ)
・三重県立朝明高等学校ラグビー部(スポットコーチ)
・NCHIGAメモ
プロコーチ:コーチングという手法を使って、クライアント自身が悩みや課題を解決していくことをサポートしたり、クライアント自身が願望や理想の未来を実現していくことをサポートしていく専門家のことです。 コーチングの対象分野は様々で人生全体、ビジネス、人間関係、家族、恋愛、能力開発、メンタル強化など非常に多岐に渡ります。
[ 経 歴 ]
・平成18年3月:沖縄県立名護高等学校 卒業(ラグビー部 主将)
・平成22年3月:国際武道大学 卒業(ラグビー部 副将)
・平成22年4月~平成28年3月:ワセダクラブ ラグビースクールチーフコーチ
・平成22年4月〜平成27年2月:ワセダクラブ ラグビーアカデミースキルコーチ
・平成24年2月〜平成30年1月:早稲田大学ラグビー蹴球部コーチ(平成27年1月 ヘッドコーチ就任)
・連絡先
ホームページ:
メール:deigo.rugbyschool@gmail.com
3つのポイント
3つのポイントとはゲスト様に作成して頂いた質問書の内容を、NC HIGAがリサーチした後に3つのポイントにまとめたものです。
1:育成➡恩師との出会い
2:情熱➡逆境へ立ち向かう精神力
3:愛
ラベリング
ラベリングとは3つのポイントをさらに1つにまとめたNC HIGAの独断と偏見で主観的に決めたものです。
ロードオブ・ザ・デイゴ(メカル)
【ラベリング理由】:銘苅さんの歩む道の先に名護市の新たな未来と、スポーツの街とゆう側面があることを願いを込めたラベリング。
①人生や活動の理念
・活動理念
『スポーツを進化させ スポーツで地域を活性化させ スポーツが生活の一部となる』
・“歴史は変わる” ではなく、“歴史を変える”という想いで活動している。
Q銘苅さんはどちらのご出身でしょうか?
A私は名護市我部祖河の出身です。
Q大学は武道大学に行かれたんですね?
Aはい、体育を学ぶことと教員免許の取得のために行きました。
Q銘苅さんが考えるスポーツの進化とはどのようなモノでしょうか?
Aスポーツはずーっと昔から色んな競技がありますが、色んな競技の中でもルールが変わったり、年齢や性別が変わったりして時代の進化とともにスポーツも進化していて、変わることが多いと感じているので、競技の進化と共に我々も進化していかないと、新しいものに置いていかれるなというものが一つあります。
私が県内を離れて県外に行ったときに、沖縄の場合、情報が中々入ってこなかったり、県外のチームと切磋琢磨できなかったり、どうしても県外や海外の情報や練習の取組を真似する事が多かったんですけども、そうではなくて、名護市から我々の今やっている活動を、日本や海外で真似したくなるような名護市が最先端だと、デイゴラグビースクールを真似したいとなりたいなという思いがあります。
名護だからできる名護のオリジナリティで、他から見ると真似したくなるものという思いです。
・NCHIGAメモ
・ラグビーとは?
ラグビーは2つのチームに分かれ、楕円形のボールを奪い合い相手陣のインゴールまで運ぶ、あるいはH型のゴール上部に蹴り入れて得点を競うスポーツ。
楕円形ボールの理由:
1:膀胱に空気を入れたものを使用していたため
2:ローマの時代に、ボールの代わりに頭蓋骨を使用していたため
3:リカの原住民がダチョウの卵を使用していたため
4:て走る時に楕円形の方が持ちやすかったから
5:ネシアの人たちがヤシの実を使用していたから
など、諸説あり。
イングランド発祥の競技で、ヨーロッパ(イングランド、スコットランド、アイルランド、ウェールズ、フランス、イタリア。この内イングランド、スコットランド、アイルランド、ウェールズはホームユニオンと称される)ばかりでなく、オセアニア(オーストラリア、ニュージーランド、サモア、フィジー、トンガ)および南アフリカ、アルゼンチンで人気の競技。
英連邦諸国内ではサッカーやクリケットと並ぶ人気スポーツ。
アメリカンフットボールは楕円形のボールを使う、タックルにより相手の前進を止めるなどラグビーと共通する特徴をもっていることから、古い時代に共通の起源をもつと考えられているものの、まったく別の競技。
・ラグビーの歴史・沿革
歴史1820年から30年頃にイギリスで始まったとされる。特に、1823年イギリスのラグビー校でウェブ・エリス少年がフットボールの試合中にボールを手に持って走ったことがラグビーの発祥といわれ、ラグビーとして初めてのルールは1845年に作られた。
日本のラグビー発展
日本に伝わったのは今から100年以上前の1899年で、以後、「大学スポーツ」として発展したことが、日本のラグビーの歴史の特徴。
慶應義塾大学、早稲田大学、明治大学、同志社大学が日本ラグビーの中心だった。
1924年には早慶戦も開催され、ラグビーの人気が学生を中心に広がった。
また、東は東京都港区の秩父宮(ちちぶのみや)ラグビー場、西は大阪府東大阪市の東大阪市花園ラグビー場(旧近鉄花園ラグビー場)が「ラグビーの聖地」と言われる。
特に花園ラグビー場は、全国高等学校ラグビーフットボール大会の会場でて多くの国民に知られている。
国際的には1987年から始まったラグビーワールドカップが4年に一度行われ、日本代表は連続出場しており、2015年のラグビーW杯イングランド大会においては、競合の南アフリカ共和国に勝利し、世界に驚きを与え、日本のラグビー史にも大きな足跡を残した。そして2019(令和元)年、日本代表は予選プール1位通過で、史上初のラグビーワールドカップ決勝トーナメント進出&ベスト8入りの快挙を成し遂げました。
日本ラグビーの当初は、大学スポーツとして発展する歴史を持ちますが、各地域の社会人リーグも同時に進歩していきました。
社会人ラグビー日本選手権大会では新日鐵釜石や神戸製鋼が7連覇するなどスタジアムを沸かせてきました。2003年には日本最高峰の全国リーグ「ジャパンラグビートップリーグ」がスタート。
年末年始には、全国大学選手権大会や2020年度に100回大会を迎える全国高校ラグビー大会などが開催され、ラグビーは冬の風物詩として多くのファンに楽しまれています。
若年層でもラグビースクールを中心に活動が盛んです。たとえば、タグラグビー(タックルのないタグをつけて行う競技)は2010年から小学校の学習指導要領に掲載されるなど、ラグビー普及の一環として期待されています。
2016年のリオデジャネイロ五輪における男女7人制ラグビーの実施、そして2019年のワールドカップ日本開催を機に、日本ラグビーの歴史は新たに塗り替えられ、ますます発展していくでしょう。
②失敗談
・私が教えたい事が優先して、結果としておしつけるような指導になった時。
・選手の目線で考えていなくて、伝えたい事が伝わらなかった時。
・選手が出来ない事を受け入れられなかった時。
・たくさんあります。
Q銘苅さんの失敗談の中で、相手目線で向き合えるようになったのは何がキッカケだったんでしょうか?
A自分の目線でしか考えなくて指導した時に、結果として選手がラグビーを楽しんでいないとか、「もういいよ」とおなか一杯になってたなどの失敗を繰り返しました。
コーチって選手が目的としている所まで連れていくのがコーチじゃなくて、選手を導きサポートするのがコーチの仕事なので、しっかりと選手がしっかりと何をやりたいのか、どうゆう風になりたいのかという選手がやりたい事、考えている事を私が理解したうえでどうゆうサポートが出来るのかというのが、理想の選手とコーチとの立場だと思うのでそういうことを大事にしています。
Q銘苅さんにとって、失敗はどのよう理解しているのでしょうか?
A失敗は成功の基とか、失敗から学ぶとかありますが、僕はプロのコーチとして失敗はやってはいけない事と思ってます。失敗は自分の力やスキル不足、知識のなさで起きているので、なぜこの失敗が起きたのか?それは、準備の段階で準備を怠っていたから、もしくは準備は行ったがグランドでの臨機応変さが足りなかったとか、僕の持っている知識が足りなくて選手に対する引き出しが無かったとか要素があると思うんですけども、失敗はなぜ起きたのか?次に同じような場面があればどうやって改善するのか?に備えて、1つの失敗をしっかりと受け入れることが次につながると思います。
Qコーチは自分がプレイせず、導く側なので失敗できないと考えるんでしょうか?
A選手は失敗してもいいんですが、私はしっかりと練習メニューを作成するうえでしっかりと考えているので、僕自身が失敗してもいいと考えてグランドに立つ事は無いです。
③学びやターニングポイント
・大学卒業後プロコーチとして小学1年生を指導した時
Qプロコーチになるキッカケはどのようなモノだったのでしょうか?
Aプロコーチになるきっかけは、私が大学3年生から4年生にあがるときに、元早稲田大学ラグビー部監督の後藤さんという方がいらっしゃるんですが、後藤さんから1本の電話があって今のプロコーチの道に入りました。
元々早稲田大学と名護高校ラグビー部の繋がりというのは、昔からあって、名護高校の夏合宿に早稲田大学の監督、コーチであったり現役の選手が、毎年参加してくれて色々教えてくれるという繋がりがずっとある中で、私が高校3年生の時にラグビー部のキャプテンで、当時早稲田大学から後藤さんと選手がきていました。
その合宿は現役の選手からすると地獄なんです。私の時は、春も夏も県内で負けていて、優勝できてなく、中々うまくいかない代だったんです。後藤さんの初日の練習で例年より結構らくで戦術的な事をやってぜんぜんきつくないと当時は思ってました。今考えると、当時の僕たちは勝てていなかったので戦術面から教えてたのだと思います。
後藤さんは練習後いつもランニングするんですが、初日の練習後私が後藤さんに駆け寄り全然練習きつくなかった事を伝えると、次の日から馬のように走らされてました。
Qそんな後藤さんの声掛けがプロコーチを始めるキッカケだったんすね
Aはいそうです。
④現在の活動
・デイゴ ラグビースクール代表 2018年4月設立
・名護市内の保育園、小学校に講師としてラグビー授業指導
・名護高校ラグビー部 フルタイムコーチ
・四日市メリノール学院 女子ラグビー部スポットコーチ
・九州産業大学附属九州産業高校ラグビー部スポットコーチ
活動場所:名護市21世紀の森ラグビー場
Qデイゴラグビースクールのデイゴの名前に込めた意味はどのようなモノでしょうか?
Aデイゴの木というのはめちゃくちゃ根っこが強いんです。そういう特徴があって、庭にあると屋敷を壊すくらい強くてそれが特徴な木でして、沖縄県の県花でもあります。
デイゴラグビースクールのチームも名護市の地域に根を張ったいつの時代もずっとあり続けるクラブであって欲しいなと、デイゴ木のように凄いごつごつした幹なんですけど、そういった人間的な幹、人間的なブレない芯が育って最終的に枝から綺麗な花が咲くという事を、人間の人生に例えてデイゴは良いなと思いそういうチームにしたいという思いでデイゴラグビースクールという名前を付けました。
Q選手、プロコーチとして、素晴らしい経歴をお持ちですが、なぜ、地元に戻り、ラグビースクールを設立しようと考えたのでしょうか?
A元々生まれ育った名護の街だったり、風景だったり自然が好きというのもありますし、ずっと東京や埼玉でプロコーチとして活動していた時に、小学校1年生から6年生までを指導したんですが、全国大会3位になりましてこの子供たちは中学、高校と後6年間指導したら全国大会の花園で日本一とれるというのが感じたんですね。
それがどこで出来るのか、やりたいかと考えたときに名護でしょと直感で1番思いました。
名護なら初日話したように、県外に行けない事がデメリットと言われているんですが、逆にそれがメリットで小学校から教えてたら、小学校6年間、中学校3年間、高校3年間の12年間一貫指導できる。それが強みで名護なら名護で日本一とれるぞという思いになって、名護でしょという思いで戻ってきました!
Qデイゴラグビースクールの指導方針はどのようなものでしょうか?
A教え過ぎないというのが指導方針です。
人間的成長と競技力向上という大きく2つに分けていて、人間的成長のところでは、どんなに困難な時でも前を向き逆境を乗り越える強さです。競技力向上の所では、勝敗を通じて楽しさと厳しさを探求するというものなんですけども、やはり、どんな方でも困難な時はありますし、困難の時に人間の強さや大きさが出ると思うので、それをラグビーを通して困難に直面した時にどんなアクションが取れるのか?自分だけでなく、仲間に対して手を差し伸べるやさしさがあるのか?そういった人間的な部分とやはりスポーツなので勝敗にはこだわってます。
よく子供のスポーツは勝ち負けは関係ないと言いますが、僕は逆で勝敗があるからスポーツで勝敗があるから人間的成長にもつながるんです。
勝ったからいいのか、負けたからどうゆう態度でいられるのか。そもそも3歳児でもじゃんけん勝ったら喜ぶじゃないですか?それは人間が持ってる根本的な欲求などと思うので、勝っても負けてもいいよという指導は僕はしません。
勝ちを目指しましょう。
Qデイゴラグビースクールではどのような人を育てたいとお考えでしょうか?
Aラグビーに限らず、ラグビーを卒業していったときに、最終的に社会でリーダーとして活躍する事です。
・NCHIGAメモ
・県内スクール 7組織
読谷ラグビースクール、沖縄ラグビーアカデミー、コザクラブ、沖縄ラグビースクール、沖縄ワラビーズ、デイゴラグビースクール、那覇ラグビースクール
代表挨拶:
・「強く逞しく生きる人間」が育つ
どんな時代や環境でも「強く逞しく生きる人間」が育つ。そのために必要なことがラグビーを通して経験できる。
子供たちの可能性を広げ、夢を追いかけ続けることができる環境を作るために、デイゴ ラグビースクールを2018年4月に設立しました。
デイゴの花言葉:夢、活力、生命力
デイゴの特徴:根の力が強く、ゴツゴツとした幹は、右へ左へと曲がりながらも空へと伸び、情熱的な真っ赤な花を咲かせます。
・子供たちの未来への可能性を広げる
子供たちの未来の可能性を広げる強く大きな根(土台)を張り、どんな時でも諦めず前を向き、太く逞しい幹(人間性)が育ち、それぞれの道で素敵な花(夢)を咲かせてほしい。という想いから、「デイゴ ラグビースクール」という名前をつけました。
指導方針:
1:人間的成長
①どんなに困難な時でも前を向き、逆境を乗り越える強さ。
②自分より弱い立ち場にある人間に手を差し伸べる優しさ。
③現状を把握し、考え、決断し、行動できる(問題解決能力の向上)。
2:競技力向上では、
①発達段階に適したトレーニングの実施。
②個性を活かすトレーニングの実施。
③勝敗を通じ、楽しさと厳しさを探究。
※教え過ぎることによりコーチが主役になるのではなく、練習が楽しくて熱中していたら気付いたら上手くなった、できるようになった。という選手が主役となり成長できるメニュー作り。出来ないことができるようになる喜びと、もっとやりたい、うまくなりたい、という気持ち。そのバランスを大事にしています。与えられるのが当たり前ではなく、自ら気付き、考え、判断し、行動する。そのサイクルを1人だけではなく、仲間と共に経験できるプログラムとメニュー作りを考え、実行しています。
・人と人が繋がり、笑顔と夢が広がる
ラグビーを通じて人と人が繋がり、そこにはたくさんの笑顔と夢が広がる。
その環境を作るために、指導者として大切にしている
「情熱」・「愛情」・「向上心」この3つを軸に、今後も挑戦し続けます。
■年会費 5000円 [保険料、施設使用料、用具の購入、その他イベントなどの経費を含みます]
月謝
①平日・週末コース:小学生1-4年生 4500円 5,6年生 6500円 中学生 9000円
②週末コース 3500円
⑤ フェイバリットソング
・AI ハピネス 大好きな曲です。
Q銘苅さんにとってこのハピネスという曲は、どのような曲なんでしょうか?
A僕にとってはそんなに歌詞を文字にして見る事は無かったんですけども、聞いたときにすっと頭の中に入ってきて、心が躍り出すというか、元気になる曲で、コカ・コーラのCMで流れてたんですけども、「この曲良いな、元気が出るな」と思って、ふと歌詞を見てみると、語りかけているような感じで、それが好きです、大好きな曲です。
・NCHIGAメモ
AI(1981年11月2日 - ):歌手、ソングライター。アメリカ生まれ、鹿児島県育ち。所属ユニバーサルミュージック。
LAで10代後半を過ごし、本場のゴスペル音楽に触れたことによりソウルフルな歌を歌う。
中低音のハスキーな声が特徴。
R&B特有のメロディにJ-POPのテイストを盛り込ませ、ブラックミュージックリスナー以外へのアピールも図っている。多様なバラエティを持つトラック群を余裕タップリに乗りこなせる、高い歌唱スキルを持っている。
歌詞を付けるとき「私が書いた詞で1人の人生が変わってしまうかも知れない」「あなたのことは分からない。でも私はこう思う」という気持ちで書く。「みんながあがっていく音楽」がコンセプト。
ハピネス 歌詞
余裕がなくて 優しくなれない そんな時でも ちゃんと分かってくれている人がいる
周りを見渡せば いろんなドラマ でも嫌なニュースだけじゃない No no no
本当は溢れてる たくさんの笑顔が ほら こっち向いて
君が笑えば この世界中に もっと もっと 幸せが広がる
君が笑えば すべてが良くなる この手で その手で つながる Lala Lalala Lala Lalala
君と過ごしている時間を 特別だとか 思ってなかった
でも 1人になったとき なんか分かった気がした 一緒にいれることの幸せ
本当に君に 会えて良かった どんなに嫌な1日だって 君の笑顔で
最高になっちゃう この星降る夜も 一緒に眺めていたい
君が笑えば この世界中に もっと もっと 幸せが広がる
君が笑えば すべてが良くなる この手で その手で つながる
街中が 光に包まれてく 君の所にも届いて欲しい
輝く 粉雪... This Winter また君を笑わせたい
君が笑えば この世界中に もっと もっと 幸せが広がる 君が笑えば すべてが良くなる
この手で その手で つながる Lala Lalala Lala Lalala
君が笑えば この世界中に もっと もっと 幸せが広がる
君が笑えば すべてが良くなる この手で その手で つながる
⑥見据える未来
・名護市がスポーツの街宣言!!
・12年間の一貫指導で日本一
・現在指導している子供たちが成長し、家庭を持ち、親として、社会人として名護市に携わる。デイゴに携わる。
名護で育った子が名護以外でも活躍できる、名護に戻ってきても活躍できる。
・いい人材が育つ=いい環境がある。そういった街は魅力的だと思う!
名護市が国内、海外からも注目され、自然だけでなく教育やビジネス的にも魅力的だと思われる場所になる。
Q12年間一貫指導で日本一を達成するため今後どのように活動されていくのでしょうか?
A私は日本の義務教育が素晴らしいと思っていて、足し算が出来て、引き算が出来る。そこから掛け算、割り算となっていきます。ちゃんと一歩づつ段階を踏んでレベルアップしていってるんですけども、私もそのようにラグビーを考えていて、名護高校で日本一を取るために逆算して中学校の時にはどのような事が必要なのか?高学年ではどうなのか?しっかりと逆算する事によって、ブレない一本の芯が出来てそれが、12年間の一貫した指導に繋がるという風になるんですけども、一貫指導するからこそ、我々以外の活動他の競技やそれ以外の組織などの方々と会ったり、話を聞いたりすることで、いろんな体験を出来る。そうゆう体験が子供たちにとっては人間的な幅を広げる事になると思うので、僕らだけの言う事を聞いて欲しいのではなくて、全く違う畑違いの方々と接するふれあいから自分のモノにするという風にしたいので、スポーツ以外の色々な活動をしていきたいです。
Q冒頭にお聞きした、『スポーツを進化させ スポーツで地域を活性化させ スポーツが生活の一部となる』という思いの先に、名護市をスポーツの街に押し上げるという気概を感じますが、名護の市民の方々と共に歩んでいく必要があると思うのですが、具体的にどのように名護市の方々と共に歩んでいこうとお考えでしょうか?
A具体的にはこれというものは、現時点では無いのですが、スポーツが生活の一部となる、その前にスポーツで地域を活性化させるという上では、私たちはスポーツを行ってますが、名護市民の方々にはそれ以外の方々にはそれ以外の活動もやってる方もたくさんいらっしゃるので、そのような活動に参加させてもらったり、もしくはデイゴラグビースクールにそういった方々を招いてお互い名護市民として活動している団体があるという事を繋げて知ることによって、お互いにパートナーシップを組んだりという形で互いにメリットのある相乗効果のあるというものを生み出し考えていきたいなと思っております。
番組出演後の感想
A特に初日はどういった形で進めるかという事でとても緊張したんですけども、お二方のお陰で少しづつ慣れました。ラジオというと私は車を運転する時に普段聞いているんですが、このような形で収録しているんだなとか、ラジオする中でも語っている方たちの顔や人間性が見えたり、凄い面白いなと感じて、テレビなどの画面で見るものにはない魅力が感じました。
出身地:名護市 我部祖河
学歴:
稲田小学校
羽地中学校
名護高校
国際武道大学
国際武道大学【 建学訓 】
若人よ武道によって 不動の人生観を体得せよ➡常識や世間体に流されず、確固たる不動の人生観や価値観を持っ
て生きる
若人よ武道によって 平和の世界観を把握せよ➡みんなの幸せとは何なのかを知る
若人よ武道によって 汝の体躯を養え➡自己鍛錬による知識、技術のあくなき向上心
若人よ武道によって 忍耐礼節の道を学べ➡耐え忍ぶ強さ、礼節による他者への敬意を払う人間力
若人よ武道体育の精神の下 国際友情の大道を築こう➡利他的でダイバーシティ的な他者との関わり
「道」を知り、「道」をひらく 国際武道大学の約束
国際武道大学は、学術力(研究力に基づく教育力)を備えた大学として、人間存在の基軸となる人間精神・人間身体の「道理」を究め教授することで、専門性と先見性に優れた真のリーダーを育成し、より良い未来社会を構築してまいります。
ミッション・ステイトメントについて
ミッション・ステイトメントは、大学の使命を約束する言葉のことです。
『「道」を知り、「道」をひらく』という言葉が、国際武道大学の約束です。
ミッション・ステイトメントは、建学訓に基づき、本学建学の究極目的が「道」にあることを示しています。
ここで、「道」とは何なのだろうとの疑問が生じます。『字通』は「道」の原義を「導く意」としています。「道」の理解には、
何かの導きの理解が欠かせません。校歌には、そのキーワードに「星」があることが分かります。「星」の導き、「星」に
至る「道」。「希望」を「星」につなぐ「道」。
ここに導きの普遍性や導きの目的性、さらには方向性や基準という内在的な力が示唆されています。揺るぎないあ
るべき姿が「道」という言葉に込められているのです。
次に、なぜミッション・ステイトメントに「知る」という言葉と「ひらく」という言葉が選ばれているのでしょうか。
それは、「大学」の果たすべき役割に由来します。
ミッション・ステイトメントは、「学術の中心」という歴史的にも世界的にも認められた大学のあり方を「知る」という言葉によって表現し、「知的、道徳的及び応用的能力を展開させる」という教育機関としての役割を、「教育」という概念が含んでいる「未来」に焦点をあわせ「ひらく」と表現しているのです。
「道心」(道を求める心)を持つ、「道友」(道を以て交わる人)が集い、「達道」(人のふむべき普遍的な道)によりて、「大道」(人類のふむべき道)が実現する。
<大学>としての「本来のあり方」を体現し、<道>に生きることが、国際武道大学の存在の使命であり、ゆえに『「道」を知り、「道」をひらく』ことが、国際武道大学の約束なのです。
好きな事、もの等:ヒージャー(やぎ)、コーヒー
銘苅代表ヒストリー
・目標もなくただ毎日を過ごしていた日々
学校へ行かず、部活動にも所属せず、何も目標がなくただ毎日を過ごしていた中学3年生の夏、生徒指導主任の松本先生(名護ラグビー部OB)に無理矢理ラグビーの試合に出場させられる。
人数がいないからと仕方なく出場した1回戦で、何もできずボロ負け。それまでスポーツは何でもすぐに出来てあまり負けることがなかった。自分が何もできずに負けたこの試合は、非常に恥ずかしく自分に腹が立った。
ラグビーをしたいというより「負けたチームに勝ちたい。」という思いが強く、それから本気でラグビー部の練習に参加した。
「あいつらに勝つ!!」
という新しい目標ができた。
練習するうちに、ボールを持って自由に走ることができ、合法的に人間と思いきりぶつかることができるラグビーの魅力にハマっていた。
➡負けた経験から覚醒➡明確な目標➡チームで成し遂げる経験➡夢中になっている自分
・ラグビーが自分を変えるキッカケに
中学最後の冬の大会、チームは順当に勝ち上がり決勝戦は夏に負けたチームとの再戦。
夏に負けたとは思えないほどの圧勝で優勝。
夏前には高校進学なんて考えてもいなかったが、この頃には高校でラグビーをやりたい。もっとラグビーをやりたい。と思うようになっていた。
松本先生に相談したら、「名護高校だな。」と一言。自分では、進学校の名護高校を受験するなんて頭の片隅にも考えていなかった。
しかし、松本先生の一言を聞きラグビーやるなら沖縄県で1番強い名護でやりたい。と、わずか数秒間の会話でそう思い、名護高校を受験すると決心した。
それから数ヶ月、周りの同級生に混ざり塾へ通い、受験勉強した。名護高校へ入学し、ラグビー部に入部し3年連続花園に出場した。
1年の時はメンバーに入るが花園のピッチに立つことは出来なかった。
➡中学で目標達成➡新たな道(高校進学)➡花園に出場するも悔しい思い、、、
・念願の花園のピッチに、でも・・・
2・3年生でスタメンになり念願の花園のピッチに立つことができた。
高校2年生になり、ラグビーも学校も辞めようかと悩んでいる時期があり学校も部活も休みが続くことが増えていた。学校をサボったある日、携帯電話が鳴った。宮城先生(ラグビー部監督)からの電話だった。
「今から家に行くから」・・・と言われ、数分後に迎えに来た。
車に乗り向かった先はファーストフード店A&Wの駐車場。
「学校とラグビーを辞めようと思っています。」・・・と伝えたら、
「お前がラグビー辞めるなら、このまま海に突っ込んで2人で死のうか。」・・・と、
太く落ち着いた優しい声と、突き刺さるほどの鋭い眼差しで言われたのは死んでも忘れることはない。
宮城先生の迫力に返事もできず、ただ固まっていた。
それからどんな会話をしたのか覚えていないが、翌日からまた学校へ行きラグビーをやる生活に戻った。
➡高校2年生でモチベーションダウン➡恩師の情熱➡大人が本気で向かい合ってくれた事で情熱が再燃
・想定外のキャプテン任命
高校3年生、キャプテンに任命された。
その年の周囲の下馬評は、「今年は負けるのでは?多分」「連覇は途絶えるだろう。」という声が多かった。
キャプテンになった私はエネルギーの塊で、負ける気なんて少しもなかった。
新人戦、インターハイと優勝できなかったが、厳しい夏の期間を乗り越え、9月の名護市長杯、花園予選と優勝し、無事に花園行きを決めた。
➡想定外のキャプテン任命➡周囲からの強い風当たり➡逆境をガソリンに立ち向かう➡見事優勝を成し遂げる
・今も記憶に残る出来事
花園予選から花園本大会までの期間に起きた出来事が記憶に残っている。
私の親友(ラグビー部員)が学校の規則違反をし停学処分になった。私は全く関係なかったが、親友からお願いされ口裏合わせをして、問題が起きた日時に親友と私は一緒に遊んでいたことにした。
担任や学年主任、生徒指導担当、そして宮城先生にも呼ばれ、
「本当に一緒にいたのか」・・・と問われ、「はい、一緒にいました」・・・と答えた。
「もし嘘だったら、花園出場は辞退する」・・・と言われたが、「一緒にいました。」・・・と嘘を突き通した。
結果は、別の友人が真実を話し嘘がバレた。
親友は停学になり、私は「なぜ嘘をついたんだ!」と叱られた。
花園に出るために必死の演技で謝ったが、内心は親友との約束を破るわけないじゃん。
親友を裏切るぐらいなら、花園なんてクソくらえ、と思っていた。
数日後に別の先生から聞いたが、あの出来事があった日、宮城先生が若手の教員を誘い飲みにいった時、「自分がしたことの責任を取らず、嘘をついたのは確かによくない。でも、男同士で約束し、その約束を最後まで守ったことは素晴らしい。男の約束って、そうでしょ。」と、言っていたらしい。とても感動したのを覚えている。
確かにあの時、他の先生は何回も問い正してきたが、宮城先生だけは「本当か?」の一言だけだった。私が嘘をついているのを知っていたのだろう。でも口を割るはずない。「こいつに聞いたって無駄だ。」と思っていたのかもしれない。
きっと宮城先生には、私がそういう人間だと見透かされていただろう。そういう出来事もあり宮城博という男の魅力に惹きつけられ、「俺も教員になる。」と大学進学を決めた。
国際武道大学3年の2月、宮城先生から電話があった。内容は、当時、早稲田大学ラグビー蹴球部コーチだった後藤さんが電話したいと言っているから、この番号に電話して。とのこと。恐る恐る後藤さんに電話した。
「大学卒業後、どうするのか?」・・・という内容だった。
「沖縄に帰って教員を目指します。」・・・と返事した。
「沖縄でラグビー部の指導をやりたいなら、せっかくだから早稲田で勉強していかないか?」
「一度、上井草へ来い」・・・と誘われ、
ワセダクラブに就職することが決まった。
仲間への思いを貫く➡尊敬する恩師の思いを知り未来が見える➡大学卒業前、後藤さんからの誘いで指導の道へ
・悪魔の合宿、後藤さんとの出会い
後藤さんとの出会いは、高校生1年の夏、毎年恒例の早稲田合宿で初めて会った。
1・2年時はあまり接点がなかった。3年の早稲田合宿、キャプテンだったこともあり話す機会が多かった。その中でも、合宿初日の練習後の会話が特に記憶に残っている。毎年地獄のような練習だったのに、初日にラグビーの練習が多く、走り込み(通称:走練)がなかった。部員のほとんどは、「あれ?」と、拍子抜けしたのと同時に、ホッと安心していただろう。
新人戦、インターハイと負けが続いており、危機感を感じていた私は、練習後にグラウンドをジョギングしている後藤さんに、「今日はなんで走らなかったのですか?もっとキツイことやらせて下さい。」と、今では考えたくもないようなことを言ってしまいました。その瞬間の後藤さんの「フッ」と、鼻で笑ったあの不気味な顔は忘れられません。案の定、翌日からの練習は例年以上に厳しく、辛い合宿となった。悪魔のような後藤合宿を乗り越えたチームは、夏から急成長し花園出場を掴んだ。
後藤さんとの出会い➡厳しい練習の経験を乗り越える➡見事優勝し花園へ
人生初のコーチ経験は小学1年生
ワセダクラブでは、ラグビースクールのコーチ、早稲田大学ラグビー蹴球部のコーチを経験することができた。
人生初のコーチで担当したのは、小学1年生のコーチだった。
彼ら、彼女たちとの出会いが、私をコーチの道へと導いた。結局、小学4年時以外の5年間、彼ら・彼女たちのコーチを担当することが出来た。
コーチとして右も左も分からない私を、底なしのエネルギーと溢れんばかりの笑顔でいつも励ましてくれた。
気が付いた時には、子供達に会える日曜日を楽しみに、他の曜日を過ごすようになっていた。
勝ったり負けたり、笑ったり泣いたり、グラウンドだけでなく私生活でもたくさんの時間を共に過ごし深い絆ができた。
早稲田大学蹴球部コーチを経験➡子供たちの人間の素朴なパワーでコーチとして成長し、深い絆を築く
子供達を誇りに思ったチャレンジマッチ
小学5年生の夏合宿、チャレンジマッチという1つ上の学年にチャレンジできる試合で、見事6年生に勝った。
特に小学生は、1つ学年が違うと体格・パワー・スピード・理解力に差がある。コンタクトスポーツであるラグビーで、その時期に上の学年に勝つことは容易ではない。そのチャレンジマッチで、子供達の成長を強く感じた。
第1試合のAチームは、エースG君の先制トライがあり善戦したが接戦で負けた。
みんな、悔しくて泣いていた。それまでは、今までと変わらない光景だった。
しかし、そこからが違った。自分の試合直後、悔しくて悔しくて辛かったと思うが、Aチームのメンバーが次の試合を控えるBチームのメンバーのところへ行き、泣きながらも6年生と試合をして感じたこと、学んだこと、相手がこうしてくる。ここがチャンスだ。というアドバイスをしていた。それを間近で見守っていた保護者、コーチ、そしてこれから試合するBチームのメンバーもみんな涙を流した。
そして、Aチームの思いも引き継いだBチームは、何度もピンチをしのぎ、粘り強く何度も立ち上がり勇敢に戦った。
そして、ノーサイドの笛が鳴る。見事、勝った。6年生に勝った。試合直後のBチーム、応援していたAチーム、汗と涙と泥だらけの子供達の顔はとても強く、そして優しかった。達成感に溢れていた。
試合に勝った喜びよりも、Aチームの敗戦後の行動、そして勝利後にBチームがAチームのところへ行き、有り難うと言いながら抱き合う姿を見て胸が熱くなった。
ラグビーの素晴らしさを改めて感じ、子供達を誇りに思った。
子供達の素直に悔しがる姿から、次にチームにとって何をするべきか自分で考え行動する事を目の当たりにする➡アドバイスや思いをを受けた仲間が見事結果を出す➡チームや支援者みんなで歓喜する成長の神髄に近いものを経験
困難にぶつかった時、逃げずに逆境を乗り越える強さ
いよいよ、小学校最終学年の6年生になった。ワセダクラブでは6年時のみキャプテンを決める。
そのキャプテンは、学年の代表だけでなくクラブの代表となる。ワセダクラブ小学生カテゴリーの顔となる。
私の独断でNくんを任命した。
私は子供達に、
「しんどい時、辛い時など困難な問題にぶつかった時に逃げずにチャレンジし、逆境を乗り越える強さ。」
「自分よりも弱い立場にある人間に手を差し伸べる優しさ。」を持ったラグビープレーヤーになろう。と、常々言ってきた。
この学年は、勝っている時は自分たちの長所を出せるし元気もあり声も良く出る、が、先制点を取られたり、負け始めると一気に崩れ逆転で勝つことはほとんどなかった。小学3年時のチャレンジマッチでチームは、負けていてみんな元気がなく下を向いていたが、ただN君だけは違った。何本トライを取られても顔を上げ、視線の先は相手を見ていた。彼は不満そうな顔1つせずに淡々と最後まで戦っていた。
そんな彼の姿を見て、インスピレーションを感じた。6年でキャプテンをするのはNだなと。
その日の試合後、N君にかっこよかったよ、6年の時にキャプテンを任せたいな、と話したのを覚えている。
その後もN君は逆境な状況になればなるほど力を発揮した。決して逃げることはなかった。
長い期間一緒に過ごし個別の特性を見極める➡皆を引っ張り戦うリーダーを任命
指導者の言動の重み、責任を強く感じた
5年生の3月、来年度は誰がキャプテンになるんだろう。と、みんな気にしていた。私のなかでは順調に成長したN君に任せようと考えていた。本人にどう思っているのか聞くと、3年生の時に話したあの一言を覚えていた。あれからずっとキャプテンやるつもりだったと。鳥肌が立った。ほんの数秒の何気ない会話を覚えていたとは。彼がキャプテンになるのは必然だったのかもしれない。覚えていたことへの嬉しさと、指導者の言動の重み、責任を強く感じた。
指導者の言葉の影響➡選手の今後を左右する経験
日本一を目指して
キャプテンが決まり始動した最終学年、子供達が決めた目標は日本一。
2月に花園で開催されるヒーローズカップで優勝することだった。それまで私は、とにかく子供達にラグビーを好きになってほしい。今後もラグビーを続けてほしいという思いがあったので、勝利至上主義ではなかった。練習や試合時間もできる限り平等にし、全員が活躍できる機会を均等にする方針だった。試合時のメンバー編成も実力均等割りで、選抜メンバーを編成することは年に数回のみだった。しかし、子供達が決めた目標は日本一。6年時は、今までよりも勝ちを意識することを多くした。勝つためにやるべきことを問いかけ、時には厳しい練習をすることもあった。
試合メンバーも実力順に編成することも多くした。
子供達が自ら日本一の目標を掲げる➡チームの熟成度が上昇➡子供達の人間性の成長と共に、練習メニューも勝利を意識したものに
勝ち負けを意識して、大きく成長した子供達
結論から言うと、勝ち負けを意識させた方が子供達は成長した。単にラグビーの上達ではなく、人間として成長した。「しんどい時、辛い時など困難な問題にぶつかった時に逃げずにチャレンジし、逆境を乗り越える強さ。」「自分よりも弱い立場にある人間に手を差し伸べる優しさ。」それが自然に学べた。試合に出ていないメンバーに変化があった。それまでは、「ちゃんと試合を見なさい。遊ぶな。」など保護者から指摘されることが少なくなかった。しかし実力順でメンバー編成すると、出ていないメンバーが集中して試合を見るようになった。自分も試合に出たい。同じポジションのライバルはどんなプレーをしているのだろう。と、ただの応援ではなく自分がライバルに追いつき追い越したいという観点で見るようになっていた。出ているメンバーもそれを感じ、追い越されまいと今まで以上に必死になる。
勝ちというチーム戦略➡選手個人の意識するポイントが具体化される➡チームの成長速度が上昇
高い目標設定で一人一人が成長し、全国大会出場へ!
今まで、自分がよければいい。という様な言動をすることがあったり、自分のことで精一杯という子供がいた。
でも気付くと、みんな仲間への興味・関心が高くなり、子供同士でアドバイスしたり、意見交換したり、仲間の些細な変化にも気付ける様になっていた。
日本一になるという目標を達成するために、勝ち、負けという結果を意識することで今までより厳しくなった環境の中で、お互いを励まし合い、一人一人が成長し、チームも成長した。本当の意味で仲間になっていた。色々な出来事を乗り越え迎えたヒーローズカップ予選決勝戦。私は大学生の公式戦が重なり、子供達の試合に帯同することは出来なかった。
大学生の試合後、「子供達の試合どうだったかな?」と結果が気になっていた。
携帯が鳴り、電話に出た。電話の相手はキャプテンN君、「銘苅コーチ、勝ちました!」と一言。後ろではみんなの喜んでいる声が聞こえた。コーチ不在での大事な試合、チームが1つにまとまり全国大会への切符を掴んだ。
後日、映像で決勝戦を観た。試合前、挨拶するために全員がグラウンド中央に整列する。グラウンドに入るS君とT君の姿を見て、「あ、これは勝つな。」と思った。2人はスタメンではなく控え選手だった。その2人のグラウンドへ入っていく後ろ姿がカッコよかった。誰よりも背中が大きかった。「お願いします」と、気持ちの入った大きな声で挨拶し、走って列に並ぶ2人は、画面を通してでも熱が伝わった。集中しているのが分かった。闘志をひしひしと感じた。控え選手で、試合に出るか分からないS君とT君の試合前の整列を見ただけで、勝ったことの理由が分かった。
全国大会を決めてからの2か月、中学受験で休んでいたメンバーも戻り、これまでよりもさらに密度の濃い時間を過ごした。
メンバーから外れたり入ったり、失敗と成功を繰り返しながらそれぞれたくさんの試練を乗り越え、大きく成長した。
憧れの花園、全国大会1日目!
憧れの花園グラウンドに立った子供達は、これまで経験したことのないほど緊張しており、プレッシャーに押しつぶされそうになっていた。
初戦、2回戦とガチガチに緊張したまま、持ち味を発揮できず苦しい試合展開となった。
これまでなら、試合途中で相手のペースになった時点で、勝敗は決まっていたかもしれないが、強く逞しくなったチームは、諦めることなくシーソーゲームをものにし、無事に2勝することが出来た。
指導者不在での重要な試合➡試合に勝利➡精神性の成長がチーム全体に行き渡り本物の強さを手にしていた
憧れの花園、2日目の準決勝!
相手は同じ関東のチーム。これまでも勝ったり負けたり、同点だったりの好敵手。お互い一歩も引かず好プレーの連続。会場にいる全員が息をすることさえ忘れるような激しい試合だった。
結果は相手に軍配が上がり、日本一への道は断たれた。試合に出たメンバーも出ていないメンバーも、みんな号泣していた。子供達、保護者含め、チームの雰囲気は重く、立ち直れないほどのものだった。
チームで困難を乗り越え、全国3位に!
午後には3位決定戦がある。なんとか気持ちを切り替えて、最高のパフォーマンスができるよう、今やるべきことは何か考えた。昼食後、子供、保護者含めチーム全員を集めた。準決勝で敗れ目標としていた日本一にはなれない。それは現実だし、今後も変わらないこと。でも、数時間後には3位決定戦がある。目標達成できなかった、本当に悔しくて辛いのはみんな同じ。このチームは今、困難にぶち当たっている。こういう厳しい時こそ前を見よう。今、自分にできることは何かを考えよう。もう一度心を一つにして、チーム一丸となって3位決定戦でベストパフォーマンスをしようと話した。返事こそなかったが、子供達は静かに頷いていた。
それからあっという間にW-upの時間がきた。子供達の切り替えたはずの気持ちだったが、どこか空元気で心ここにあらず。という状況だった。それほど敗戦のショックは大きかったのだろう。
どうにか暗い雰囲気をかえたいと思い、W-upの途中で全員集めた。
「みんな、身体が動いていないぞ。」「もう花園になれたでしょ?」「元気出していこうよ、」「なぁ、S君!」・・・と、
チームのムードメーカーS君にふると、拍子抜けした明るい声で、
「ぱ〜い♪」・・・と、最高の返事。全員、大爆笑。
S君は私の気持ちを悟って、わざと100点満点の返事をしたのだと思う。天才だ。
そのお陰で、肩の力が抜け、いつもの明るさが戻り、チーム内にエネルギーが充満した。
キックオフの笛からノーサイドの笛が鳴り響くまで、縦横無尽に花園のピッチを走りまくった。
まさに、ベストゲームだった。結果は完勝。数時間前には悔し涙を流しどん底にいた子供達の顔は、嬉し涙でくしゃくしゃになっていた。握手し合い、抱き合い、お互いの健闘をたたえ合った。目標は達成できなかったが、ここまでの過程は、素晴らしく、日本一価値のあるものだと確信した。
中学生になり、ラグビーを続けている子、新たな道に進んだ子、たくさんの教え子たちとは、今でも連絡を取り合っている。
大きな敗戦という挫折➡立て直しが急務➡コーチを含めた選手全員の絆が試さる➡全員で立ち上がり、立ち向かった➡最高の結果を導く➡人生で人として大きな財産ともいうべき時間、経験、仲間、恩師を得ることが出来た
推薦者コメント:
①「デイゴラグビースクール」設立。
元女子セブンズ日本代表S&Cコーチ ARUKAS QUEEN KUMAGAYAヘッドコーチ 宮崎 善幸 様
本当におめでとうございます。心よりお祝い申し上げます。
私は、埼玉県熊谷市にある女性だけのセブンズラグビーのクラブチームである「ARUKAS QUEEN KUMAGAYA」でヘッドコーチをしている宮崎善幸と申します。
デイゴラグビースクールの代表である銘苅信吾さんとの出会いは、彼の母校である国際武道大学でした。
私が国際武道大学ラグビー部のヘッドコーチをやらせていただいている時の選手が銘苅さんです。
銘苅さんは身体が小さかったですが、激しいコンタクトとスマートなアタックを武器にする選手でした。決して多くを語る選手ではありませんでしたが、「ここぞ!」という時にチームにとって大切な言葉を、その瞬間を逃さずに勇気を持って伝えることができる選手でした。
そんな銘苅さんがコーチとしてのキャリアを積み、この度、自分自身が代表を務めるクラブチームを設立したことは本当に楽しみでとても嬉しく思っております。
ラグビーの価値は「人間の根底にある強さ・優しさ」を自然に学ぶことができることだと思っています。
人生には様々な困難があります。一番辛い時に人に矢印を向けずに自分に矢印を向けて逆境を乗り越えられるか?自分より弱い立場の人たちに、自分のできることを瞬時に考え、行動を起こすことができるか?そんな人生の中で起こる大切なことを学ぶことができるのが今回、名護市に発足した「デイゴラグビースクール」です。
なぜならば、それこそが銘苅信吾さんのポリシーだからです。
ラグビーを通して人間力を高める。「デイゴラグビースクール」のスタイルを信じて、応援しております。
②デイゴ ラグビースクール設立に寄せて
沖縄県ラグビー協会会長 宮城 博様
この度はラグビースクール設立おめでとうございます。銘苅信吾君は、私が名護高校ラグビー部監督時代の部員で、3年次には主将に任命し、多くの部員をまとめ県大会6連覇し全国大会(花園)へと導いてくれました。
かつての私と同じ指導者の道を歩むことは実に感慨深いものがあります。そして彼がラグビースクールを設立する今、私が沖縄県ラグビー協会会長でいることは天の配剤のように感じられます。
設立当初は経営や渉外(しょうがい)など困難も多いかもしれませんが、沖縄県ラグビー競技の普及と発展の為に大きく成長することを願っています。私としてもできる限りの協力、支援をしていくつもりです。
最も大切なことはラグビーを通じての人間教育だと思います。彼にもこのことを教えてきたつもりです。名門早稲田大学ラグビー部でコーチとして6年も勤めてきた実績は、高い技術指導と同時にラグビーの楽しさを伝えること、ひいては子どもたちの人格の陶冶(とうや)にも努めることができると確信しています。
③「師となる若者の帰郷」
スポーツライター 藤島 大様
沖縄に、琉球に、名護に、桜が咲いた。ラグビーの桜、ラグビーという人間の桜が。まだ先だろう。花が開くのは。いま始まるところなのだから。違う。咲いた。そして、いつまでも散らない。銘苅信吾がいるからだ。人生に「師」は欠かせない。親族、先生だけでなく、毎日の生活や学校とは少し離れた場所にいる師が。ラグビーと真剣に取り組むことで、自分の個性、自分らしさのよいところがさらに引き出される。いままでできなかったこともできるようになる。できないことがあっても他のことでおぎなえるのだと知る。速くなる。強くなる。その喜び。速くないけれど、よく先を読んで動いたら通用した。力はそんなに強くなくても、苦しいときに粘れたら仲間を助けられる。そのうれしさ。よき師なら「ひとりひとり」を支えて、背中を押し、そこまで導いてくれる。
グラウンドの真ん中に銘苅信吾が立っている。
ひとりひとりを待っている。そこに参加できる者は幸せである。本当です。
これまで、さまざまなスポーツのコーチング、指導を目にしてきた。そこにある人格を尊重し、ひとりひとりを愛しながら、理論の研究や練習法の更新を怠らず、楽しいのに楽しいだけでは終わらせず勝負の深さを教えられる者は、めったにいない。
先人が無よりここまで築き、ひとつずつ地層が重なり、沖縄にラグビーは確かにある。そこに若きコーチが、若いのにたくさんの経験とともに、戻ってきた。だれもがいつか老人になる。生まれ育ち働いた土地で、大昔の自分みたいな子どもが楕円球にしがみついている。旧友とそれを眺める。孫の年代のタックルを肴に泡盛を愉快に飲み干す。そんな未来へつながる「場」ができる。みんな、ついてるぞ。
④早稲田大学ラグビー部元監督 後藤様
「ラグビーは少年をいち早く大人にし、大人に永遠の少年の魂を抱かせる」
ラグビー・フランス代表元主将、ジャン・ピエール・リーブの有名な言葉です。ここ名護の地においても、宮城博先生をはじめとした諸先輩方の尽力により、正にこの言葉を実践するように、多くの人間たちがラグビーを通じて“生きる力”を獲得しています。銘苅君もその一人です。
ラグビーの普及環境改善に着手し、その活動を継続していかなければなりません。それは、決して華々しいものである必要はなく、規模は小さくとも、見た目は汚くとも、子どもたちが成長できるためのしっかりとした土台を作り上げることで、やがて花が咲き、大きな果実をもたらすことに繋がるはずです。
銘苅君は、「ワセダ」での経験を通じて、それをやり続けることができるだけの辛抱強さを積み上げてきたと信じています。但し、彼一人でこれを成し遂げることは、到底できません。多くの方々の理解と協力があってこそ、実現が可能となります。
皆さまのご支援を心よりお願い申し上げます。
教え子からのコメント:
垣永 真之介 早稲田大学卒、サントリーサンゴリアス所属、日本代表
銘苅さんとは大学時代に出逢い、ラグビーの指導をしていただきました。部員からの信頼も厚く、そして誰より熱い気持ちを持った指導は何人もの人生を良き方向に大きく変えてきたコーチです。
幼少期から銘苅さんの指導を受けられる子供たちは幸せだと思います。
私も銘苅さんに教わったことの素晴らしさを証明するためにラグビーも一人の人間としても輝き続けます!
金 正奎 早稲田大学卒、NTTコミュニケーションズシャイニングアークス所属、日本代表
銘苅さんと出逢ったのは早稲田大学時代。初の他大学からのコーチとして来られて、最初から親しみやすく兄貴のような人でした。誰よりも情熱を持って接してくれて、その姿にたくさんの良い影響を、今でも受けています。
大学時代に名護高校へコーチングに行った経緯もあり、今でも名護へは行かせてもらうことがあり、深い繋がりを持たせていただいています。銘苅さんとの出逢いは本当に今のラグビー人生において大きな部分を占めています!
布巻 峻介 早稲田大学卒、パナソニックワイルドナイツ所属、日本代表
銘苅さんは大学時代のコーチで、ラグビーの楽しさや大切なことを教わりました。名護との関係もその頃から始まり、時間があるときには名護高校などの指導も行わせてもらいました。銘苅さんからの指導や名護の皆さんの暖かい歓迎は、僕のラグビー人生にとって非常に大きな影響を与えています。これからもずっと皆さんを応援しています!僕も負けないように頑張ります!
齋藤 直人 桐蔭学園卒、早稲田大学在学中
毎練習後のSHのポジション練習に毎回付き合ってもらいました。そこで銘苅さんからいただいた「GILBERT(ボールに書いてある文字)がはっきり見えるよー」[パスがとてつもなく遅いことを意味する]などの厳しいコメントを毎日頂いたのがとても印象に残ってます。また、公式戦ではコンバージョンキックの際に毎回キックティーを届けてもらいました。その際、時には自分がリラックス出来るような冗談を交えたコメントや、時には真面目な戦術に関しての話などをいただきました。沖縄県名護市でデイゴ ラグビースクールを立ち上げ、将来の日本代表を育てている銘苅さんから今でも刺激をもらっています。デイゴ ラグビースクールの子供たちが憧れるような選手になれるよう、僕も努力します!
文 剛英 麻布高校卒、東京大学在学中
中学3年生から高校1年生までの2年間、ワセダクラブラグビーアカデミーで銘苅コーチにお世話になりました。銘苅コーチの指導は厳しさの中にも優しさがあふれています。アカデミーの強度、密度の濃い練習で何度も挫けそうになりましたが、コーチの的確なフィードバックとアドバイスのおかげで何とか2年間続けることができ、ラグビーが大好きになりました。銘苅コーチには感謝しても感謝しきれません!
文 将寿 桐蔭学園卒、立教大学在学中
私が初めて銘苅さんと出会ったのは、ワセダクラブ・ラグビー・アカデミーの第2期生として上井草のグラウンドへ通っていた頃でした。当時の私は中学生で、銘苅さんは大学を卒業されたばかりということもあり、少し年の離れた優しい兄のような存在でした。
銘苅さんと出会った頃から変わらない信念がそのコーチングには垣間見えました。それは「自分が変われば人は変わる」ということを根底とした指導です。これは銘苅さんと交わした会話の中で、とても印象に残っている言葉でもあります。
「One for All, All for One」はラグビーを表す言葉として、しばしば用いられますが、銘苅さんのコーチングはまさにそれをプレーヤーに体現させるものであると実感しました。
デイゴラグビースクールの練習を見学した私は銘苅さんの指導の下、真剣にラグビーに取り組む子供達の姿に魅了され、今後の本スクールの発展は揺るぎないものであると確信しました。
「沖縄のラグビーを日本一へ」 恩師の夢叶うその日まで、応援しています。
田中 創太郎 國學院大學久我山高等学校在学中
自分が銘苅コーチに初めて会ったのは、小学校3年になる前の春休みでした。大学を卒業したての銘苅コーチは、やんちゃなお兄ちゃん。自分にとっていきなり兄ができたような感覚で「メカちゃん」と言って遊んでくれる銘苅コーチが大好きでした。
普段はとても優しい「メカちゃん」でしたが、ひとたびグラウンドに入ると厳しい銘苅コーチになり、選手たちに厳しい声をかけて選手たちを指導しています。ただ、単に厳しい声をかけるのではなく、一人一人の選手たちをどう成長させるかを第一に考えた、愛のある指導だと思いました。そして、良いプレーがあった時は、「ナイス」と言って褒めてくれます。
自分は銘苅コーチから中学1年の1年間、アカデミークラスで週2回の指導を受けてきました。厳しい練習で、帰宅後の食事中に寝てしまったり、食事もとらずに寝てしまったこともありました。ただ、その1年間での成長が、ともに厳しく指導を受けた仲間とのワセダクラブとして初の太陽生命カップ出場につながり、花園を目指す高校への進学を実現させてくれたと思います。本当に感謝しています。ありがとうございました。
デイゴ ラクビースクールがより良いクラブになるように頑張ってください。
自分も花園のピッチに立てるよう頑張ります!
石塚 勝己 桐蔭学園在学中
銘苅くんと初めて会ったのは、小学校の頃です。その時はとても優しく面白い人だな、と思っていました。中学生になって、ワセダクラブアカデミーで1年間銘苅くんにラグビーを指導してもらいました。グラウンドの外では、いつもは優しく、面白い銘苅くんですが、グラウンドに一旦入ると、とても厳しくなり何度も怒られてしまいました。しかし、ただ怒るだけではなく的確なアドバイスなどをしてくださったおかけで、ラグビーを楽しんでやることが出来、自分自身としても大きく成長したと思います。中学3年の時に太陽生命カップにキャプテンとして出場できたのも、アカデミーでの指導のおかげだと思います。
アカデミーで教わったことは今でもとても役に立っています。僕は今、高校でレギュラー目指して頑張っています。必ずレギュラーになって花園決勝の舞台に立ち優勝したいと思います。
本当にありがとうございました!
デイゴ ラグビースクールでも頑張ってください!
最後までお読みいただきありがとうございました。
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