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#51「這い上がる」2年 村田健人

皆さんこんにちは。関西学院大学サッカー部2年の村田健人(むらた けんと)です。口では思ってることは言えますが、文字に起こして大勢の人に見てもらうということはあまりやった事がないので、まとまりがない文章ではあると思いますが、最後まで読んでもらえると嬉しいです。

僕は石川県金沢市出身で、元から球技と足の速さには自信がありました。そして、6つの習い事から小4の時にサッカーに絞り本格的に始めました。小5の頃には石川県トレセンに入り、リーグ戦で4試合連続ハットトリックをするFWで正直怖いもんなしでした。そこから中学はツエーゲン金沢Jrユースのセレクションを受けました。ポジションはどこでもいいと思ってたのでGK以外全部書いたのですが、SBとして16人の中に選ばれることが出来ました。入ってからは、1個上の学年で全国大会も何度も経験させて貰えて、高円宮杯では全国準優勝を経験することが出来ました。そこからユースに昇格し、2年の初めからAチームに昇格し、最初はレベルの高さに驚く日々でした。それでも何とか食らいつき、何試合かスタメンで出させてもらうこともありました。3年になると、サイドバックからボランチにコンバートされ、リーグ戦に全試合出ることが出来ました。トップの練習参加には行きましたが、昇格できず、大学を経由してプロを目指すことにしました。大学では、関西の我の強い人達の中で揉まれたいと思い、関西の強豪、関西学院大学サッカー部のセレクションを受け、入部しました。

しかし入部後は想像していたサッカー人生ではありませんでした。1番下のカテゴリーからスタートし、しかもコーチが大人ではありませんでした。早急にカテゴリー昇格したくて、あまりやってこなかった筋トレを本格的に初め、練習以外にも走りに行く生活をしましたが、そこから5ヶ月、スタメンを取ることは出来ませんでした。この期間に関学のレベルの高さは充分理解していました。最初から揉まれるつもりではいましたが、1番下のカテゴリーで揉まれるつもりはなかったし、正直大学サッカーを甘く見ていました。1年のうちにカテゴリー昇格したいと思っていた中、9月に腕を折る怪我をしてメンタルどん底でした。こんな挫折は人生で初めてでした。ここまで過去の話ばっかですが、結局何が言いたいかと言うと、僕は

結局井の中の蛙

だったということです。北信越では通用するし、全国大会でもチームメイトとなら結果を残す自信がありました。入部する前は自信がありました。けどその自信は大学に入って甘かったなと考えさせられるようになりました。中高はやりやすい仲間の中でのサッカーで、正直チームメイトに頼っていた部分もありました。しかし大学はどちらかと言うと、個人の能力が大事だと思っています。自分はそこまで抜きん出た個人の能力はありません。だからといってこのまま時間が過ぎ、大学サッカー生活を終わりにしたくありません。今までも能力のない分、頭を使ってサッカーしてきました。ここで僕がいつも意識している言葉を紹介させていただきます。僕と同じFWからSBにコンバートを経験した青井葦人(あおい あしと)が主人公のアオアシという漫画から、

自分で見つけた答えは一生忘れない

という言葉です。主人公の葦人は毎回の練習や試合で、なぜ上手くいってないのか、なぜ味方に文句を言われたのかなどを考え、常に頭を使ってプレーしています。そして試合中や試合後には自分を客観視して、必ず答えまでたどり着きます。なのでみなさんも1度自分を客観視して、自分の今の悩み事などに向き合ってみると答えが見つかるかもしれません。そしてその答えは、自分で見つけたので、一生忘れないものとなっているはずです。最後に伝えたいことは、練習や筋トレなどする時、このくらいでいいやって思っていませんか?その現状は、結局井の中の蛙です。上には上がいます。まだまだ全国や世界を見たら自分に足りないものなんていくらでもあると思います。この意識を部員全員が持って日々取り組めば、関学サッカー部が日本一、大学サッカーを牽引するというところに繋がっていくと思うので、少しでも僕のノートに書いてあることを意識して日々取り組んでいって欲しいなと思います!
まとまりがなく読みにくい文章だったとは思いますが、最後まで読んでくれてありがとうございました。



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