#94「生き甲斐」4年 米田翔大
どうも、縦突破コメダです。私は自分の価値観と幼少期と将来について書こうと思います。
拙い文章なのは大前提で、文末がですます調かと思ったら急に「た。」とか「る。」とか「で。」とか「に。」で終わるのでご了承ください。また、いつものように「こめだがまた変なこと言ってるわ」ってゆう感じで読んでいただいたら辛いです。
私がこの17年間のサッカー人生で得た価値観とは、「目標に向かって頑張ったと思える日々が幸せ」ということです。
それは小中高大とただひたすらプロサッカー選手になりたい一心で努力してきたことで形作られた大きな副産物であり、これからの人生を歩んでいく際の大切な考え方になりました。
まずはこの価値観にたどり着くまでの出発点である小学生時代について綴らせてください。
人格形成に一番影響のあるその年代で幸運にも素晴らしい3人の大人がいる環境で精神面を育成することができました。
まず1人目は小学生の時のサッカーコーチです。
コーチからはサッカーの楽しさや努力の大切さはもちろんですが、親への感謝の心も教わりました。
試合で不甲斐なかったら走らされ、練習でふざけていたら追い出されていました。話を聞いている時によそを向いていると腕時計を投げられ、しょっちゅう「お父さんお母さんが汗水垂らして稼いだお金で今サッカーできてんねんぞ、真剣にやれ」と言われていました。1学年10人ぐらいの弱小チームで。
それでも、大阪府大会の決勝トーナメントに進出できたり、セレッソなどもいる大きな大会で3位にするほどの指導者で、私のサッカー人生の原点になった人です。
そして2.3人目は両親です。
私の両親は多分どこにでもいるような人たちですが、私がのめり込んだサッカーにだけは厳しい人たちでした。他の習い事の水泳や英会話は「面白くない」と言えばすぐ辞めさせてくれたのに。
小学校を卒業する頃、当然のようにクラブチームでサッカーを続けられると思い込んでいましたが、両親にあえて「中学の部活でいいやん」という態度を取られ、それから覚悟を決めて泣きながら「プロなるためにクラブチームに入りたい」とお願いした。
週末に予定がなければ試合を見に来て父はビデオ撮影、母からはダメ出し(これはただ単に鬱陶しかっただけ)、そして家に帰って試合の振り返り。
また小4の頃、母が思いつきで「朝走ろう」と言って始めたランニングが飽きて辞めた時に、普段あまり人にとやかく言わない父から「努力は続けるもんだ」と言われた。
それからは高校に入るまで平日毎朝ランニングを続けた。
サッカーに全く興味がなかった2人がここまで熱心に応援してくれている。
そんなことがあって、技術面だけでなく精神面でも成長することができました。
そんなことで始まった努力の継続により、地区トレセンに落ちていた私が昨年、濃野公人の替えのサイドバックにまで成長することができました。
中高大と進学するにあたって最初の1年は絶対に最下層のカテゴリーだった私が決して諦めることなく上を目指し続けれたのは、この3人のお陰です。本当にありがとうございました。
ここで全然違う話に変わってしまいますが、就活のことを書かせていただきます。
私はAチームから落ちた昨年6月から就活を始めました。
最初の頃は「仕事なんてしんどいだけ」「年収と福利厚生しか大事じゃない」と思い、自分が行けそうな年収が高いところばかりを見ていました。
しかし、説明会やインターンを受けていくにつれて『面白くはなさそうやな』『ここで人生楽しめるんかな』と思うようになってしまったのです。
そんなことを思っていたら1月に高校の親友からめちゃくちゃ怪しいセミナーに招待されました。
1回15000円のセミナーに行きました。正直ぼったくられました。めちゃくちゃ胡散臭かったです。
でも、得れるものもありました。それはそこで講演をしていた人たち全員が、仕事を人生を、めちゃくちゃ頑張ってめちゃくちゃ楽しんでいるのを見て、憧れを抱いたことです。
だからと言って自分で人をかき集めて事業を立ち上げたいと思った。のではなく。
頑張って、努力して、時には悔しくて、でも楽しくて、という日々を送りたい。と思ったのです。
だから自分の力量次第でどうとでもなりやすいベンチャー企業を選びました。
ええとこから内定もらったやつらとかこれからええ資格取るやつから「しんどいやろ」と言われるけど
早崎さんのメニューよりしんどいことは絶対にないから大丈夫っておもてます。
でも、今言った考え方って今までのサッカーでやってきたこととなんら変わりないことだと感じています。
頑張って、努力して、評価されて、時には落とされて、また頑張って。
そういう毎日が楽しかったし、それが生き甲斐でした。
だから「目標に向かって頑張ったと思える日々が幸せ」をこれからも体現します。
最後に4回生へ
私を含め、多くの4回生はあと3ヶ月のために十数年間サッカーを続けてきました。
ほとんどの人はこれを聞いて「そんなわけない」となると思います。
なぜなら、ほぼ全ての人が小さい頃に思い描いていた夢とは遠くかけ離れた現状にあるからです。
しかし私たちは今、関西学院大学サッカー部でサッカー人生を終えようとしています。
泣いても笑っても満足のいく結果を出しても出せなくても終わります。
なら、この最後の3ヶ月で十数年間のサッカー人生の想いや力を全て出し切ったと胸を張って言い切って引退しましょう。
どんな形であれ、最後この関学サッカー部で輝いて、十数年間サッカーを頑張ってよかったと思いましょう。
それがこの最期のためにサッカーを続けてきたということです。
私たちの生き甲斐であるサッカーが最高の思い出で終わるように残りの日々をみんなで闘いましょう。
読んでいただきありがとうございました。私の伝えたいことが少しでもご理解いただけたのなら幸いです。