#17「俺の人生が1番楽しい」2年 古田東也
こんにちは、関西学院大学体育会サッカー部2年古田東也です。
拙い文章ですが、熱い気持ちを綴っていますので、読んでくれると嬉しいです^_^
自分や他人について考えたりすることが多く、そんな中で色んな悩みがあって時々寝れない時がある。自分の人生が1番楽しいっていう生き方にしたいと考えている。
こんな古田を知らない人が多くいると思うので、みんなに分かるように僕のサッカー人生について紹介していきたいと思います!
出身は長崎県佐世保市というところです。4人兄弟で男は全員也という言葉が最後に付きます。自分のお父さんはお坊さんです。
自分は、兄の影響で6歳からサッカーを始めました。兄と一緒の小4までは地元クラブでやってました。小5からは、地元の強いところ(大学でもチームメイトである楓大)と自分たちのチームが合併しました。よく考えてみるとその時が自分自身のサッカー人生の転機となる瞬間でした。
中学校では、地元から1時間半以上離れた所で練習する日々を送っていました。フィジカル専門コーチが2人いたり練習終わりはご飯を食べるという独特のルールがあり、こだわりの強いチームでした。そしてこの中学時代に身長が25cmも伸びました。このような色々なことがあった中学サッカーでしたが、努力が実を結び、中3の時にV・ファーレン長崎に呼ばれ行きました。
ユース(高校)でも、身長と体重が増え技術も向上しました。毎日毎日必死に上手くなるために苦しみながら生活していました。
高校1年の冬にはトップチームのキャンプに呼ばれました。そこから、プロサッカーという存在が身近になり、夢から現実的な目標へと変わっていった、そんな時期でした。
高校三年生の時には、天皇杯のFC東京戦でデビューして、次のアビスパ福岡でも試合に出させて貰いました。トップチームの練習試合に数え切れないほど出ました。しかし、トップチームに昇格しプロサッカー選手になる夢はこの段階では叶いませんでした。今考えると、この瞬間が今の大学サッカーの根幹にあると考えます。
悔しくて悔しくて絶対成長してプロサッカー選手になるという思いをより強く持って、関西学院大学サッカー部での生活がスタートします。
大学では、Iリーグ前半までBチームで出させてもらいました。夏からはAチームで出させて貰いました。去年はプロ内定が多くいた4年生を中心に引っ張ってもらい、チームのおかげで新人賞を取れました。
新人賞を取れたことは良かったですが、ここでDFとして大挫折を味わいます。明治大学との試合です。5点も前半で決められる試合なんて初めてだった。この負けから自分の大学サッカーで大きく変わる、もっと上手くなるために成長しようと思えた試合でした。
晃也くんから新チームスタート合宿の時、こんな話をしてもらいました。
「ここにいる時点でプロになれなかったから負け組なんだ。」自分はこの言葉がとても心に来てます。
もうプロデビューしてA契約している選手やゴールを決めてチームを勝たせたり、海外で活躍したりと数え切れないほどもうこの世界で戦ってる先輩、同期、後輩がいる。晃也くんのこの言葉を聞いて「自分はこいつらに追いつくのではなく俺が1番活躍してやるんだ」と思えた瞬間でした。
自分がAチームで出てる以上はこのチームを勝たせて日本一を取る事を約束します。日本一の熱量でチームを鼓舞しリーダーシップを発揮し続けることを誓います。
自分はもっと活躍して有名になりたいです。セルヒオ・ラモスのような熱い男になりたいと思ってますし、世界で戦いたいと思ってます。こんな激しい競走がある環境だからこそスタメンで、もっと試合に勝ち、関学サッカー部の名を日本中に轟かせ、試合に出ていない仲間のためにも自覚と責任をもって日々を過ごしていきたいと思っています。そして自分自身がより大きな舞台で活躍するための通過点にできるように、この一瞬一瞬を無駄にしないように全力で駆け抜けます!
最後に。
「日本一の景色をみんなで見ましょう!どんどんトライし、サッカーでは戦場のように戦い抜きましょう。そして、大学生活楽しかったと言えるように一日一日を過ごしましょう!」
これからも関西学院大学サッカー部の応援よろしくお願いします!
自分のファンもたくさんお待ちしております(*^^*)