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#100「あいつだけには負けたくない」3年 宮本流維

こんにちは。
関西学院大学サッカー部3回の宮本流維(みやもとるい)です。


 文章を書くのはあまり得意ではなく、拙い文章にはなってしまいますが、是非最後まで読んでもらえると幸いです。


 自分のサッカー人生を振り返った時に、高校まではとても中途半端な日々を送っていた。中学まではなんとなく上を目指したいとサッカーをし、たまたま強い高校に行けて、なんか選抜にも呼ばれて、味方にも恵まれ運良く全国大会で優勝した。(決勝は体調不良で出てないけど)

 正直高校ではプロなんて考えてなかたったし、大学でプロに行ければ良いなとかっていう考えを高校に入るまで持っていた。しかし、高校の時に何回かプロの練習に人数合わせで行った時に、「こんなところでやってみたい」「自分もできる」という気持ちが湧いていた。

 それから高校を卒業し、ここでプロになってやると強い思いを持ち関西学院に入学した。

 自己紹介みたいなのはここまでにしてここから本題。

 最近学年のリーダーたちと「なんでプロサッカー選手を目指してるの?」という話をし、自分はなんでだろうなと考えた時に、最終的に自分の原動力は“負けたくない”という気持ちなのかなというものに行きついた。


 大学生に入ってからの1年目の結果は思い通りに行くものではなかった。Bチームでベンチ止まり、同学年のキーパーに完全に負けていた。

 そんな一年を過ごしてる間に、高校の仲の良かった奴はめちゃくちゃ活躍していた。筑波大学サッカー部のG君。みんなから「ポジション違うのに?」とかって言われるけど、自分にとっては関係なかった。高校3年間苦楽を共にした彼は大学サッカーの最前線で戦ってた。もちろん、嬉しさもあったしすごく刺激をもらったけど圧倒的に悔しさの割合の方が大きかった。ただただ悔しかった。G君と比べて、自分は何をしているんだろうと虚無感に襲われた。

 でもやっぱり負けたくなかった、「こんなままで終わりたくない」と、もう一度強い決心をし2年目に挑んだ。でも、2年目の前期もBチームで過ごしていた。関学での同期がAチームで活躍している姿をスタンドから見ていることしかできなかった。素直に応援できないし、そんなちっぽけな自分が嫌になった時もあった。

 そんな中、チャンスは突然訪れた。人数合わせでAチームに上がることができ、すぐには試合は出れなかったものの、総理大臣杯の準決勝で初スタメンで試合に出ることができ、その後後期の関西リーグは多くの試合にできることができた。ある程度試合に出ることができ、次のシーズンに向けても自信を持つことができた。

 ようやく同じ土俵までこれたかと思った。しかし、G君は全日本大学選抜だのプロの練習参加だのと大学サッカーのトップにいた。自分が上に行けば行くほど、その何倍もの速さでG君は上へ駆け上がっていっていた。


 G君が上に行くほど、刺激をもらったし負けたくないという思いがより強くなっていった。3年になると関西でもG君の名前を聞くことが多くなったり、ネットでも彼の記事を見ることも多くなったりした。ネットでは“大学No1ボランチ”などと、サポーターからは「グランパスは絶対、彼を取るべき」とすごいなと思った。

 でも、やっぱり負けたくない。だから必ず、G君に追いつき、追い越す。多分、みんな無理だろうと言うだろう。笑って馬鹿にするかもしれない。3回になっても大して試合に出ていない、関西でも埋もれている。でも、やってやる。全身全霊自分の全てを賭けて追い越してやる。




  だって、あいつにだけは負けたくない



最後まで読んでくれてありがとうございます。


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