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#19「理由」4年 稲田翔真

こんにちは。
関西学院大学体育会サッカー部4回稲田翔真(いなだ しょうま)です。


部員ブログという貴重な機会を頂いたので、自分らしく伝えていきたいと思います。

こういうのにあまり慣れておらず拙い文章になってしまうと思いますが最後まで読んでいただけると幸いです。 


関西学院大学体育会サッカー部には、3回に上がるタイミングで選手ではなく学生スタッフという役職に転身するコンダクター制度がある。

それを決める際、多くのコンダクターミーティングを実施し決めていくのですがそのコンダクターミーティングで決意表明をした際、同期から


なぜプロサッカー選手を目指すのか?


という質問が来た。

3歳からサッカーを始めて幼少期は漠然と将来の夢はサッカー選手と言っていたが中学高校と神村学園に行き、多くの人がプロになること、プロを目指すことが当たり前の環境であった自分自身にとってすごく難しい質問だった。
すごく悩んで考えていくうちに2つの結論が出てきた。

1つ目は、プロサッカー選手と会社員になった自分を考え比較したときに自分自身にとって、プロサッカー選手のほうが魅力的だと思った。

大好きなサッカーでご飯が食べれることはめっちゃ幸せなことだと思うし、レベルの高いところでプレーをすることが出来るのはすごく刺激的だし会社員では出来ない経験をすることによって人間的成長にも繋がり今後の人生にとって大切な要素だと考えた。

また多くのサポーターや観客の前でプレーをすることはプロの人たちにしかできないことだと考えた。これも会社員と比較した時に会社員だと何万人の方々に対してみられる事はなかなかないと思うしそういった経験を若い頃からしていくことでサッカー選手が終わった後も大勢の人の前で話す力や思考力などが身につくと考えた。
そして、プロサッカー選手の寿命は25歳から26歳と言われており本当に、今しか目指すことが出来ない職業だと思った。

 2つ目は、家族をはじめとする自分を支えてくださった方々にプロサッカー選手になって原動力を与えたいと思ったからだ。

僕は3歳でサッカーを始めたと前の文章で書いたと思うが、4歳の時はサッカーをすることが出来ない状態だったため本格的にサッカーを始めたのは5歳ぐらいからである。

僕は4歳の時に大腸と小腸が絡まり栄養が取れない病気になってしまい、食事をしては吐いて食事をしては吐いて、という日々を過ごし本当に毎日毎日生きることが辛かったし苦しかった。

地元の病院では治療することが出来なかったため鹿児島で一番大きな鹿児島大学病院で治療することになりすぐに手術をすることが決まり7時間もの大きな手術を経験した。

そして、お医者さんに言われた一言目は「奇跡だった」という言葉だ。

多くの間栄養が取れていないためお腹を開いた後、腐っていたら僕は植物状態になっておりもう 僕はこの世にはいなかった。

しかし奇跡的に腐っていなかったため無事症状は回復し完治することが出来た。

この病気を乗り越えることが出来たのは家族をはじめとする多くの人が支えてくれたおかげで今の僕があると思う。

 だからこそ、プロになって活躍することで少しでも多くの人にに原動力を与えられるような人間になりたいと思っている。
 プロになることも活躍することも簡単なことではない。だからこそもっと、謙虚に直向きにサッカーに打ち込まなければならないし甘えている自分自身を捨てていかなければならないと思う。
プロになって活躍するという目標を達成して少しでも恩返しができるようにこれからもっと努力していきたいと思う。


そして、最後になりますが僕自身この病気のことは家族以外話をしたことがない。
「こいつ可哀想やな」とか「大変やったんやな」とか思ってもらいたいから書いたのではなくて、みんなにはサッカーが毎日出来ていることは当たり前ではないことだと気づいて欲しいと思ってnoteに書きました。

これからもその当たり前に感謝すること、そしてサッカーを楽しむことを大切にしていきます!!


まとまりがなく拙い文章だったと思いますが、最後まで読んでいただきありがとうございました。このブログが誰かの心を動かすことが出来ていたら嬉しいです!

関西学院大学体育会サッカー部
稲田翔真

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