#65「綺麗事の半分くらい。」3年 瀧口稜介
こんにちは。
関西学院大学体育会サッカー部3年、瀧口稜介です。
まず初めに、日頃より関西学院大学体育会サッカー部をご支援いただいている全ての皆様に深く御礼申し上げます。
所々読みにくい箇所があるかと思いますが、最後まで読んでいただけると嬉しいです。
さて、あまりに平凡な人生を生きている私だか、このような自分の思いを表現する機会をいただいたのだった。
書くからには良いものにしたいと締め切り間近まで書いては消し、書いては消しを繰り返していた。おかげでLINEのKeepメモは未完成の文で溢れている。
そんななか、ネタ探しにとこれまで投稿されている関学のnoteを読み返していたところ、気付いたのだった。
皆も私も、意外と日常生活で自分のことあんまり話していないな、と。
そういうわけで、今チームに対して抱いている思いと絡めて、「知って貰う勇気」について書いてみることにした。
皆さんは吃音症を知っているだろうか。
医学的には言語障害や発語障害などに分類されるものである。私は先天的なこれに随分と悩まされてきた。言葉はうまく話せないし、好きなタイミングで発言も出来ない。人には笑われるし、イジメられる原因にだってなる。世間ではあまり認知されてないことも相まって、ほんとにマイナスなことばかりである。
ただ、ここでなに言っても病状は変わらないのでネガティブな話はこの辺で。
私が吃音症であるということは皆うっすら気づいていたかもしれないが、自分から言うのは今日が初めてである。
言わなかった理由は簡単。
知って貰う勇気がなかった。
吃音症で悩むことが減ったとはいえ、普通に話せないことはずっとストレスだし、周りと比べて悲しくなることも多い。
今でも弱点であり、触れたくない話題であることには代わりない。
このような触れたくない話題は、大なり小なりきっと皆にもあるんじゃないかなと思う。
隠したいこと、指摘されたくないこと、考えたくないこと、言えばギクシャクしそうなこと。避けたい話は人によって様々ある。
20年ほど生きてきて、私達はそれをうまく回避できる人間になっている。嫌な雰囲気になる話題には触れないし、気まずい空気にはしないようにさらっと流す。
小学校から大学まで進み、サッカーというチームスポーツの経験も経て、みんな気を遣える人間になっていると感じる。
特に関学のみんなはすごく優しくて器用だ。
しかし、この「優しさ」と「器用さ」は深い関係になりにくいという欠点もある。俗な言い方をするとうわべだけの関係というやつである。
これは今年の関学サッカー部の弱点であると思う。
各カテゴリー、選手同士、応援し合っていてもどこか他人事なのだ。
このような状況を脱しようと、「もっと要求し合おう」「厳しい声もかけていこ!」と、言う人はいる。
もちろん、厳しい声も掛け合えたらベストである。
しかし、今のチーム状況。自分を含め、まずそこまでの関係値が足りてないように私は感じる。
関係値がなければ、響く言葉も響かない。チームのためと厳しい声をかけていた人がいても、厳しいこと言っただけの人になってしまう。これはすごく勿体無い。
響かないやつはほっといて響いてくれるやつとだけサッカーをやるのも手段の1つだが、このチームが目指すのは、「愛し愛される組織」。一度も理解し合わずに切り捨てるのは最善とは言えない。
じゃあどうやって関係値を深めるのか?
そこで必要になるのがはじめに言った「知って貰う勇気」だと思う。
自分が何を目指していて、何が足りなくて、何が悲しくて、何が楽しいのか、その為に皆に何をしてほしいのか。
皆は誰かと共有できているだろうか。大して話し合わないまま、あいつはなに考えてるか分からん。あいつと俺は関係ない。となっていないだろうか
少なくとも私は皆に共有出来ていなかった。
自分を知って貰うこととは、相手に期待し、信頼することだと思う。
本気で期待したり、信頼したり。確かにそこには「裏切られる」という大きなリスクもある。
しかし、期待や信頼という言葉は、真に心が通い合った人とのあいだで最も大きく響くもの。そして、その通じ合った誰かに対する無条件の信頼はなによりも熱い応援になり得る。
口当たりのいい言葉だけ話していても「友達」にはなれるだろう。でも、我々が目指すのは日本一の組織。
そこで必要なのは「友達」より「仲間」であるはずだ。
このチームはもっともっと良くなると思う。でも伸び代はあったで終わらせたくない。
今までも発信してきた人はその範囲をより広く、私のように殻に閉じ籠ってしまっていた人は勇気を出してみよう。
嫌われる勇気じゃなく
「自分を知って貰う勇気」
私の学生人生も残すところあと1年半。
これから、私は話したくないことも、触れたくない話題も、言いづらいことも今よりもっと言っていく。その上で自分はどんな人間なのか皆に知って貰う。
とりあえず「一旦、やってみる」。
今さらかと言う人もいるだろうが、今さらでも明日からやるよりずっとはやい。
綺麗事だと言われても、その半分くらいはそっくりそのまま真実であると思いたい。
全ては
引退する頃に「皆は俺の最高の仲間だ」と言えるように。
そして、
「最高の仲間だった」
と、言って貰えるように。